禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

そのⅡ

今週もしかしくだらない日々だった。本当に、このコロナ騒ぎが早く終わってほしい。今年度が本当に早く終わってほしい。それだけ。仕事の拘束時間はかなり短いが、その分まったくやりがいがない。生産性もない。ただ時間が無駄に過ぎていく。

 

 

 

月、火、水と午後には早く帰った。仕事、家での食事、音楽と運動。本当それだけ。昨日はまたひたすら会議やくだらない作業。本当うんさりですわ。fxxxing sick of it!!

 

 

 

ひょっこりかつての同僚に誘われたので、ご飯に行く。そいつらにとっては飲みだが。もう私は飲まないことを宣言したし、早く帰ることも言っておいた。

(もし、「ご飯いこう」なら2時間あれば十分すぎるのに、飲み会で2時間で帰ると付き合い悪いように感じる不思議。でももう私は飲まないのだ。だから、周りが飲み会として考えていても、私は「ごはん」として考える。それでよい)

 

 

 

 

結果として、これももう遠慮したいな、と思ってしまった。そいつらはとてもいいヤツらなのだが。

 

 

そいつらは酒が入る。やはり酒が入ってくると、生産性はない。誰かの噂話、オチのない話、まわりくどい話、繰り返される話。。。はっきりいって、おもしろくない。お茶ばかりがばがば飲めないし。コーラも久々に飲んだら、変な味に感じられたし。

 

それでたいてい2000円とか取られるんだから、まったく割が合わない。(今回のやつらは、私が飲んでないんだから、と安くしてくれたけれど。)

 

そいつらはいいヤツらだから、これからもこういう機会はあってほしいと思う。でもそれがもう飲みある必要はない。一緒にプールいこうとか、海行こうとか。ビリヤードとか。そういうのがいいなと思う。

 

 

 

 

 

 

なんで大人になったら、友情とか親睦の機会が「酒」になってしまうのだろうか?

 

 

別にひさびさの友人や同僚と会うのに、必ずしも酒は必要ない。もちろん必要あれば飲めばよいのだろうが、大多数は惰性で飲んでいるだけである。あるいは社会の洗脳で。かつての私がそうであったように。

 

 

 

学生の頃なら、誰かの家や公園で、コーヒー片手にずっとしゃべっていればよかった。ゲームしたっていいし、ベンチに座っておしゃべりしててもよい。しかし、無駄に大人になってしまうとそれをやるのがなんかカッコ悪くなるのだろうか。または、酒を飲むこと=親睦、友情の確認になるのだろうか。

 

 

 

 

正直なところ、かつて私もそのように感じていたこともあった。アル中時代。酒を飲んでいるヤツは面白い。飲まないヤツは付き合い悪いか、まじめぶった固いヤツ。飲み会があるのなら、2次会3次会は当たり前。時には朝まで。そう思ってたし、行動していた。幸い人に強要こそはしなかったけれど、たぶん。

 

 

 

 

今から思えば本当にアホらしい。もちろん酒に関わる全部が無駄ではないことは付け加えておく。しかし、それだけ飲んでも別に友情なんてたいていはそんなに関係ない。酒のまやかしである。酒がなければかかわりがなくなるのなら、最初からそんなのは必要ないのだ。朝まで行ったとことで、どうせ次にはあまり覚えてない。そんなものである。

 

 

やれやれ。本当に私も、時間とお金と健康を無駄にしてきたのう。。。

 

 

 

でもまあ、これに気づけただけ良しとしよう。大切なのは、これから、である。