禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

その2 演奏するように文章を書く

もうすぐ節酒は100日、禁酒も40日と節目になるため、8月の非常に残念だった飲み会について書いておきたい。戒めのために。または単にムカつきを吐き出したいためにw

 

 

 

 

なぜかというと、本当にその飲み会が残念だったからだ。結果論ではあるが、本当に無駄だったと思う。だからもう行かない。それだけ。(もちろん行くと返事したのは私だし、久しぶりに飲んでみようと思ったのだから、100パーセント無駄だとは言わない。ポジティブに考えるのなら、「やって後悔」なので、まあよいのだろうか。やらずに後悔よりはさ。)

 

 

 

 

しかし99パーセントは無駄だった。2つの理由で。心底無駄だったと思うので、1か月以上たった今思い出してこれを書いているのだw

 

 

1つ。この飲み会がなければ、もちろんこの日も飲まなかった。そしてこの日の飲み会がきっかけになって、このあと2日飲んでしまった。つまり、計3日飲んでしまったことになる。これが非常に心残りである。

 

 

それと同じくらい残念なのが、私が楽しくなかったことだ。7時間もいて、6000円も払って楽しくない。この犠牲はいったい何なのか。1時間6000円なら、時間は無駄ではない。7時間いても無料ならまあ良い。でも7時間で6000円で、楽しくない。。。まったくあほらしい。くだらなさすぎる。

 

 

 

6000円て。今自炊で、一食100円200円を迷ったりしている。または、16年ぶりに買う電子レンジもしばらく迷ったりしていた。(5000円前後)そんな日々のささやか節約が本当にあほらしくなる値段だ。

(不思議なのは、飲み会だとそれくらいかかるだろう、と思ってしまうことだ。何も残るものなどないのに。日々の食費と比べると、ものすごく高い。高すぎる。)

 

 

そして7時間。+次の日の回復3時間。10時間。10時間あれば。。。映画だって5本見える。音楽だってアルバム10枚くらい聞ける。新しい町に行って、新しい発見をして日帰り旅行だってできる。本当に無駄極まりない。

 

 

それに加えて、アルコールという毒を飲んだことによる健康被害。あほすぎる。健康、時間、お金。この3つの無駄。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもいろいろ書いたが、1番は、私が楽しくなかったからだ。楽しければ、7時間いてもよい。6000円出してもよい。健康を害してもよい。楽しくなかったから、無駄だと思うのだ。。。

 

 

メンバーはかつての同僚。みんなかつてはよく飲んだメンバーだった。しかし、もう今となっては職場も違うし、話すことがあまりなくなってしまった。話すことが特にないのに、なんとなく集まって、酒で会話の空白を埋める。これが本当にむなしかった。

 

 

それにもう今の私は気づいてしまったのだ。かつてのよく飲んでいた時だって、特にそれほど仲良くなんてなかったことに。酒で会話を無意味につないでいたことに。

 

 

 

本当に仲が良ければ、酒なんてなくてもよいはずだ。カラオケでも、ごはんでも、ドライブでもよい。でもそんなことはまずなかった。いつもの店で、いつもの酒に、いつもの仕事の話。よくもまあ私も参加していたと思う。振り返れば、私もアル中だったし、そんな金曜日も悪くないと思っていたのだろう。(今思えば本当に無駄だが)

 

 

 

1番むなしさを感じたのが、エレカシの『今宵の月のように』が店で流れた時である。私の人生の1曲の一つである。でも、その場にいた誰も反応しなかった。試しに話を振ってみたが、ああ、そういえば、みたいな反応が返ってきただけだった。

 

 

これが本当にむなしかった。誰とも、このメンバーでは、私のしたい話はできない。分かり合えない。音楽を通じて、私という人間を理解してもらうことはここではできない。。。もうこのメンバーといることはできないのだな、と思った。

 

 

 

 

それ以外にもいろいろ思う節はあった。他のメンバーが来るのを待っている間、ちょっと2人で飲んでいた。それも全然会話は盛り上がらなかった。全員そろって、それなりに近況方向とかはするが、そんなに面白くない。私は結構ネタをもっていると自分では思っているのだが、そこまで食いついてもらえない。じゃあ代わりに何を話すかと言えば、それぞれの今の職場の近況報告や誰かの噂話。そんなのはもうけっこうである。

 

 

 

さらに言えば、いい歳したおっさんが、若い女にはでれでれと話をするのに、私には本当に興味がなさそうw私は必要とされていないし、これ以上この場にいたくもないから、もうそっちでやってくれと思った。若干言ってしまったwそんなこんなの、本当に無意味な飲み会。

 

 

 

じゃあ行って飲むなよ、とか、1次会で帰ればよかった、と思う人もいるかもしれない。でもやっぱり雰囲気というものがあるのだ。

 

 

1人が若干酒に関しては面倒くさくて、飲み会で飲まない人間、を嫌うのである。また、集まりがばらばらだったので、1次会でもし帰ってしまったら、全員でいる時間少しだけだった、ということになってしまう。だからなんとなくいてしまった。2次会が終わった段階で帰ればよかったと思うが。

 

 

 

 

 長々と書いたが、こんな感じでもう私は楽しめなくなってしまった。酒そのものを楽しめないというよりは、「飲み会」というく儀式に。話ありきの、おまけの酒ならよい。しかし、これでは完全に、酒ありきのおまけの「話」である。

 

 

 私は酒が飲みたければ勝手に一人で飲む。寂しければバーに行く。音楽に行く。そんなことに誰かに付き合ってほしいなんて思わない。だから、特に仲良くもない誰かのために付き合う気ももうないのだ。ちょっと寂しいけれど。

 

 

時間は確実に流れた。かつて一緒の職場にいた同僚も離れ離れになった。それは仕方ないことである、当然のことでもある。ずっと誰かと一緒にいることなんてできないのだから。

 

 

たとえそうなっても、趣味とか、気が合うとかで本当に友人になれればよい。でも「酒」でのつながりなど幻想にすぎない。だからもうこのような人間関係は終わっていくのがよろしい。

 

 

小学生の時にゲームで仲良かった友だちがいた。中学生と時は部活の友だちがいた。でももう今は合わない。住んでいる場所も違えば、それぞれに仕事や家庭もあるからだ。人生というものはきっとそういうものなのだろう。旧友。でももう今は合わない。でも思い出は輝いている。それでよいではないか。いつまでも小学生の時のようにかくれんぼをしてるわけにはいかないのだ。

 

 

 

もちろんまた何かの関係で会ったら話はするし、その人たちのが楽しく暮らしていくことを願っている。でももう、飲み会で、ということはないだろう。そして、そんな幻想を生み出す毒である酒とも、距離をしっかりととっていきたい。飲み会でのつながりは幻想。まやかし。少なくとも、私はそう思う。(そう思わない人はそれを続けたらよい)

 

 

 

 

やれやれ。3000字近くになってしまったw