禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

節酒記録149日目 (禁酒7日目) プールとサイクリングと日光の月初

節酒記録149日目 (禁酒7日目)

 

飲酒25日 目標65日 (7月4回 旅12回 8月3回 9月2回 10月0回 11月4回 12月0回)

 

禁酒日124日 目標300日

 

体重 72.0キロ        4時40分起き        ラン プール

 

 

4時40分起きる。ただ寒くて出られないw暗いし。アラームで起きてしまうことにする。

 

すぐコーヒーを。ささやかな幸せ。酒なんかいらない。そしすぐにエドスタッフォードを見る。この人も英国人らしく、もごもごしゃべる。1時間みっちりと見る。単語も調べたりしながら。エドと一緒に笑ったり怒ったり泣いたりしていると、ぐったり疲れてしまうw集中している証拠だから、いい傾向である。

 

それから食事、家事、ブログ、旅の計画など。そんなこんなで8時。少し横になり、ちょいと音楽を聴いてから出かける。休みだが仕事である。やれやれ。そして仕事のメールも来たりする。本当にうんざりしてしまう。

 

 

今の仕事で嫌なことのひとつに、本当に自分の時間がないことだ。常に人といて、会議、打ち合わせ、確認事項、答えの出ないことをだらだと悩む。。。など、そんなのばかりである。私は仕事そのものはそんなにいやではない。ただ、誰かに合わせたり、失敗して迷惑をかけたり、逆に足を引っ張られたり、そんなことがもううんざりなだけである。 

 

10時半くらいプールに行く。先週が雨だったので、2週間ぶりであり。本当に気持ちよかった。

 

 泳ぐことそのものも気持ちよい。さらに、太陽が差し込んでくるので、日光の下で泳いだり、ぼんやりしたりするのはとても心地が良い。セロトニンがも生まれるだろう。

 

さらに、行きかえりの道もよかった。自転車で片道45分なのでけっこうな道程である。しかし、天気もよかったし、街も心なしか穏やかだった。紅葉を楽しみながらのんびりとサイクリング。川もとてもきれいだった。ささやかな祭りもあった。

 

そしてこれだけ充実感があって、無料券を使ったのでただである。最強すぎる。市営プール最強説。これからもしっかりと習慣にしよう。

 

 

帰宅してもまだ2時。本日やることはあらかたやったので大変よい心持である。食事をして紅茶をのみジャズを聴く。うむ。すばらしい午後。

 

 

 

ふと思ったのだが、人生とは結局のところ、脳内物質をいかに作ることができるか、のような気がしてきた。逆に言えば、それだけ刺激を(できればよい方向の)得られるか、自分に与えることができるかどうか。

 

 

アドレナリン、ドーパミン、テストステロン、オキシトシン、アナンダミド。。。この辺りそのものが幸福であり、あるいは幸福へのカギである。あとエンドルフィン。

 

 

 今ささやかな充実感を感じることができているのは、朝早起きして、日課をあらかたこなしたからである。その中で、上にあげたような幸福物質をつくることができたのだろう。これを感じることができれば、おそらく人生は楽しく、生きるに値するようになるのだろう。「ああ明日も楽しみ」と。 逆にこれがないと、不幸せに感じ、悲劇を感じる。そしてうつ病へ。真逆である。

 

 

 

それらがある程度分かってきた今、仮に自分の今の状況がどうであろうと、とりあえずそれを作ってしまうことだ。あるいは、作る仕組みを自分の生活に組み入れることだ。

 

 

現在の私の場合。これにあるていど当てはまっている気がする。何も大したことはしていないし、達成するべし大きな目標もあるわけではない。現状も切ないと言えば切ない。

 

しかし、たいしたことは何もしていないが、節酒(禁酒)、自炊、掃除、ミニマリズム、節約、運動、早寝早起きを生活習慣とした。さらに日々の日課として、英語、ブログ、音楽、本、映画などもこなしている。これらを自分に課し日々クリアしていくことで、なんとか満足感を得ることができているのだろう。そりゃもちろん、ほしいものを挙げていったら一杯でてくるけどさ。

 

 

ちょいと鬱っぽかった過去のとある時期。その時は、上にあげたようなことなんて何もできていなかった気がする。酒やたばこをやりまくり、自炊はしない。掃除もあまりしない。ものはちらかり、遅寝遅起き。運動の習慣もなく、お金は出ていくばかり。こうやって書くとひどいなwそりゃ鬱にもなりますわな。。。

 

 

というわけで、日々の生活の中に、それらの物質を生み出すものを組み入れていこう。できれば、毎日、週末、そして長期的なものがあるといい。結局のところ、それが「楽しかった」記憶として残り、人生を充実させたように感じさせるのだから。たとえ、それが自分の望むものではなかったとしても。