禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

その2

家では飲まない禁酒記録119日目。うち飲酒19日。完全禁酒1日目。ラン1.5キロ+軽い筋トレ。
 
 
ちょっと筋トレを休んでいたが、また続けていこう。ぼちぼち。ランもやはり目標が欲しい。人生においても、何かを続けるにしても、何かの目標が必要だ。年内に、ハーフマラソンにでも挑戦してみようかな。おととしちなみに、12キロ走れました。だからあと3か月くらいあれば、なんとか行けるかもしれない。
 
 
本日は結局5時くらいまでのんびりとしていた。まあ、こんな日もたまにはいいだろう。それから用事を済ませ、adele,gagaを聴き、歌った。食事をし、ランをした。筋トレ、入浴。なんとか午後は頑張った。自分なりに。また明日は仕事をせねばならないが、なんとか自分なりにベストを尽くしていきたい。
 
 
 
 
「死」に関して。
村上春樹は『ノルウェイの森』の中で、こう言っていた。死は生の反対ではない。むしろ、生の内側にあるものだ、と。
今年もすでにたくさんの有名人が亡くなった。さくらももこ、アレサフランクリン、グリー(アメリカのドラマ)の俳優パック。去年、一昨年では、デビットボウイ、ジョージマイケル、リンキンパークのチェスター、ジョージマーティン、パロッツのチャッピー。。。深く知っていた人から、あまり知らない人までたくさんの偉人がこの世から去っていった。いずれはポールマッカートニーも、ポールサイモンも、オアシスのノエㇽも、年齢的に言えば先に行ってしまうことになる。多分。もちろんいずれは私も。
 
 
一方目に見えるリアルな範囲での死、というものを私はそこまでは経験してこなかった。家族、仲のいい友人はだいたい元気だった。祖父・祖母が亡くなっていくのは順番で考えれば仕方ないし、ある程度生きていれば友人や知人も何かの都合で亡くなってしまうこともある。
 
 
数年前だが、かつての同級生が2人死んだ、と聞いた。なんでも、2人とも自殺だったらしい。たぶんうつ病の末の。とくに一人は結構仲が良かった時期もあったため、複雑な気分になったし、悲しかった。私は地元を離れて暮らしているため葬儀には行けなかった。
 
 
死を考えることは、生きることを考えることである。いい死に方、あるいは自分の死後どのように記憶されてたいか、などを考えることが、今の行き方になるからだ。
 
例えば、家族が集まって、全員に看取られて死ぬ。なんてことがハッピーエンドだとしたら、わたしの生は、その方に向かっていると言えるのだろうか。。。
 
 
毎日のように自殺は駅であるし、ニュースでも見る。しかし、かつての同級生の自殺というのは、やはり衝撃的なことだった。
彼らに言ってやりたい気もするし、聞いてみたい気もする。どんな気持ちだったのか。それとも衝動的だったのか。生きるよりは死んだ方がましだと思ったのか。。。
私も何もわからない。ただ今生きているのは、死んでいないから生きているだけかもしれない。人生がこのようになってしまい、今私もどん詰まりにいるからだ。私だって、かろうじて生きているだけなのかもしれない。
 
でもまあ、楽しいことのできる友人もいるし、ランをした後の炭酸水は五臓六腑に染み渡ってうまいと思うし、音楽と酒は最高だと思う。まだ挑戦してみたいこともある。何より、まだ体は健康で心臓はビートを刻んでいるのに、自分でそれをつぶしてしまってはいろんなことに申し訳が立たない。白い布をかぶせられていった人、線路に飛び込まざるを得なかった人たちとは、まだ私ははるか遠いところにいる。
 
 
だから、いろいろ困難は山ほどあるけれど、なんとか生きていこうと思う。ちょくちょく手を抜きつつ。そして禁酒をすることは前向きに強く生きていくことと同義だと思う。
あと、特に小さいころに両親を失った人たち。私も私なりにしんどい幼少期だった気がするが、そういう人たちは本当に尊敬する。その結果、ちょっとねじ曲がって風に成長してしまったとしても。ちょうど身近なところでそんな話も最近聞いた。
 
 
今日から9月。green day の、wake me up when september endsが聞きたくなる。なんでもこの曲も、ビリージョーが11歳の時に亡くなった、父親にささげた曲だそうだ。つい秋はそんなセンチメンタルな気分になってしまう。
 
なんとか今日も飲まなかった。見てくれてありがとう。