禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒記録120日 雨が私を眠らせる

家では飲まない禁酒記録120 日目。うち飲酒19日。完全禁酒2日目。ラン2キロ。

 

本日は朝仕事に行こうと思っていたのだが雨だった。雨は予定を狂わせ、眠らせる。というわけで、8時すぎには起きたのだが、12時くらいまでうだうだとしてしまったwこれも金曜の酒が響いた結果とも言えなくもないので(昨日も起きるのが遅くなってしまい、リズムが崩れてしまった)、やはり酒の影響というのは本当におそろしい。

 

もう解禁している私が離脱症状とかいうのはおこがましいのだが、やはりなんとなく日々が物足りなく、鬱っぽい状態が続いている。なんとか自分を奮い立たそうとしてはいるが。今日で120日。うち19日しか飲んでいない。かつては、120日中119日wwwこの100日差はでかいといっていいだろう。だから、やはり離脱症状はあるのかもしれない。なかなかつらいものがある。あとまだまだ離脱症状の日々は続く。

 

でも今日も飲まなかった。これで飲み会シーズンは終わったので、これからはまたしっかりと戻していきたい。しばらくは飲まない。し、飲みたくない。楽しみの酒を、飲み会で10日間飲んだとするのならば、もう楽しみは十分すぎるwそしてやはり楽しくない飲み会もあったwww正直無駄だった。解禁はしたものの、酒に対する距離はそのままにしていきたい。特に、急な連絡での飲み会はやめた方がいい。あるいは、飲まない方がいい。何とか今日でまた2日。

 

本日はそんなこんなで、離脱症状あり、飲み会続きあり、でさらに悲しいことがあったたため、けっこう飲みたい気分になってしまった。やはり悲しいことが一番の大敵である。自己破壊と快楽に加えて、悲しいことを忘れたいという欲求が生まれるからだ。

でも飲まなかった。なんとか耐えた。とりあえずアルコールフリーでその悲しさを流し込み、バナナと牛乳で強引にセロトニンとエネルギーを作りw、ランに出かけた。破壊と快楽のために。

 

本日は3キロウォーク、2キロランにした。順調に距離が伸びている。この調子。と思ったら、足の裏に違和感が。いぼ再発かなwww全く、頑張りだしたと思ったたこれですねえ。。。まあいい。ランは続ける。痛くなるまでは。

 

 

 

村上春樹が、『走ることに語る時にぼくが語ること』のなかでこう言っていた。

 

「自分にとって好ましくないことがあったら、その分を自分に当たればいい。そして、その嫌なこともそっくりそのまま取り込んでしまう。具体的に言えば、いつもより多く走り、体に負荷をかける、ということだ。」

 

私も完全禁酒をしていたころ、よくこの言葉は言い聞かせていた。だからまた、呪文のように繰り返そうwそして走ろう。自分のために。昨日の続きだが、早く旅立っていった人のために。私が走ることは、その人にとっては別に何もならないけれど、少なくとも走ることで、アルコールを飲んだ自分よりは前向きに生きたことになる。ささやかに老化に抵抗し、精神を少し成長させたことになる。

 

胸を張っていつかあの世再開するために、酒にはもう逃げないのだ。なんとかこの4か月、悲しみの酒、逃げの酒は飲まなかったように。頑張ったな、ニーチェ君。歯を食いしばり、もがいてきたよな、本当に。。。

 

最近読んだ、数学者藤原さんの本で、「アメリカ人はもがく人たちだった。私はもがく人が好きだ」とあった。わたしもものすごく共感したい。昔から、例えば涙を食いしばり、一人で泣いているよう人間が大好きだったwそして、私自身が今、もがき、歯を食いしばり、酒に逃げず、日々戦っているからだ。自分て言ってしまったw

 

この現状を変えるために。少しでも前向きに、強く生きていくために。早く旅たってしまった友人のために。なんとか、もがきながらも生きていこう。たとえ、毎日が永遠に続く敗北だったとしても。。。

 

 

そんなこんなの一日だった。仕事、ラン、音楽、ブログ。ガガさんが病気から早く復帰してくれることを心から願う。speechless,本当にいい曲!おすすめです!

 

ランをして汗を出し、マッサージをしたりしてゆっくりと入浴しさらに汗を出し、その後の喉の渇きと充実感の中で飲む炭酸水は最高であるwww自己破壊もできているし、汗とともに、悲しみも他の嫌な感情もすべて出てしまう。夜に、公園でまた一人で飲もうか、きょうくらいいいじゃないか、と小悪魔のささやきが聞こえたが、なんとか負けなかった。炭酸水を飲んだ瞬間が勝利だとしたら、非常に気持ちの良い勝利だったw

アルコールは何も生み出さないし、なんの解決にもならない。もう一度、肝に命じなければ。

 

そしてふと文字数を見たら約2000字である。取りつかれたように、キーボードをたたいていた。言葉が次から次へとあふれてくる。書くことも、今の私にとって、最高の表現の場、感情の爆発の場の一つである。非常にありがたいことに、たくさんの人がこれを見てくれているようだ。

 

 

人生いろいろありますが、なんとかいっしょに頑張っていきましょう。また一週間が始まりますね。私も私なりに、ほどほどにいい加減に、たまには飲みながらw頑張ります。見てくれてありがとうございました。

 

 

 

 

その2

家では飲まない禁酒記録119日目。うち飲酒19日。完全禁酒1日目。ラン1.5キロ+軽い筋トレ。
 
 
ちょっと筋トレを休んでいたが、また続けていこう。ぼちぼち。ランもやはり目標が欲しい。人生においても、何かを続けるにしても、何かの目標が必要だ。年内に、ハーフマラソンにでも挑戦してみようかな。おととしちなみに、12キロ走れました。だからあと3か月くらいあれば、なんとか行けるかもしれない。
 
 
本日は結局5時くらいまでのんびりとしていた。まあ、こんな日もたまにはいいだろう。それから用事を済ませ、adele,gagaを聴き、歌った。食事をし、ランをした。筋トレ、入浴。なんとか午後は頑張った。自分なりに。また明日は仕事をせねばならないが、なんとか自分なりにベストを尽くしていきたい。
 
 
 
 
「死」に関して。
村上春樹は『ノルウェイの森』の中で、こう言っていた。死は生の反対ではない。むしろ、生の内側にあるものだ、と。
今年もすでにたくさんの有名人が亡くなった。さくらももこ、アレサフランクリン、グリー(アメリカのドラマ)の俳優パック。去年、一昨年では、デビットボウイ、ジョージマイケル、リンキンパークのチェスター、ジョージマーティン、パロッツのチャッピー。。。深く知っていた人から、あまり知らない人までたくさんの偉人がこの世から去っていった。いずれはポールマッカートニーも、ポールサイモンも、オアシスのノエㇽも、年齢的に言えば先に行ってしまうことになる。多分。もちろんいずれは私も。
 
 
一方目に見えるリアルな範囲での死、というものを私はそこまでは経験してこなかった。家族、仲のいい友人はだいたい元気だった。祖父・祖母が亡くなっていくのは順番で考えれば仕方ないし、ある程度生きていれば友人や知人も何かの都合で亡くなってしまうこともある。
 
 
数年前だが、かつての同級生が2人死んだ、と聞いた。なんでも、2人とも自殺だったらしい。たぶんうつ病の末の。とくに一人は結構仲が良かった時期もあったため、複雑な気分になったし、悲しかった。私は地元を離れて暮らしているため葬儀には行けなかった。
 
 
死を考えることは、生きることを考えることである。いい死に方、あるいは自分の死後どのように記憶されてたいか、などを考えることが、今の行き方になるからだ。
 
例えば、家族が集まって、全員に看取られて死ぬ。なんてことがハッピーエンドだとしたら、わたしの生は、その方に向かっていると言えるのだろうか。。。
 
 
毎日のように自殺は駅であるし、ニュースでも見る。しかし、かつての同級生の自殺というのは、やはり衝撃的なことだった。
彼らに言ってやりたい気もするし、聞いてみたい気もする。どんな気持ちだったのか。それとも衝動的だったのか。生きるよりは死んだ方がましだと思ったのか。。。
私も何もわからない。ただ今生きているのは、死んでいないから生きているだけかもしれない。人生がこのようになってしまい、今私もどん詰まりにいるからだ。私だって、かろうじて生きているだけなのかもしれない。
 
でもまあ、楽しいことのできる友人もいるし、ランをした後の炭酸水は五臓六腑に染み渡ってうまいと思うし、音楽と酒は最高だと思う。まだ挑戦してみたいこともある。何より、まだ体は健康で心臓はビートを刻んでいるのに、自分でそれをつぶしてしまってはいろんなことに申し訳が立たない。白い布をかぶせられていった人、線路に飛び込まざるを得なかった人たちとは、まだ私ははるか遠いところにいる。
 
 
だから、いろいろ困難は山ほどあるけれど、なんとか生きていこうと思う。ちょくちょく手を抜きつつ。そして禁酒をすることは前向きに強く生きていくことと同義だと思う。
あと、特に小さいころに両親を失った人たち。私も私なりにしんどい幼少期だった気がするが、そういう人たちは本当に尊敬する。その結果、ちょっとねじ曲がって風に成長してしまったとしても。ちょうど身近なところでそんな話も最近聞いた。
 
 
今日から9月。green day の、wake me up when september endsが聞きたくなる。なんでもこの曲も、ビリージョーが11歳の時に亡くなった、父親にささげた曲だそうだ。つい秋はそんなセンチメンタルな気分になってしまう。
 
なんとか今日も飲まなかった。見てくれてありがとう。
 
 
 

禁酒記録119日   wake me up when september ends

家では飲まない禁酒記録119日目。うち飲酒19日。完全禁酒1日目。

 

 

昨夜は飲むことになった。結構飲んだが、しっかり食事もしたし、タンパク質を取りながら飲んだし、最後は吐いたし、その後水分と食事もしたし、飲み方としてはまあ良かったと思う。楽しめたし。やはり、音楽と酒って相性いいですね。

 

しかし、飲んで吐く、って阿呆らしい行為ですねwじゃあ飲むなよってwしかもひどい時は、そこからまた飲んだりもしていたwなんという無駄な行為wまあたまにはいいでしょう。1年に1・2回かね。

 

こういう付き合ってくれる人を大切にしたい、と書いたが具体的には。たとえば、いっしょにいる間は、ケータイは見ないとか、話をしっかりと聞く、とか、相手を立ててあげる、ほめてあげる、そんなことかね。ありすぎてもできないだろう。そんなことを、こういう機会には、しっかりと大切にしたいと思った。もしおごってもらったりなんかしたら、その後メールするとか、あるいは次の日ちょっとお礼するとか。

 

これで一連の飲み会続きは一度終了ということになる。終了としたい。旅の分は除いたとしても、いささか飲みすぎた。119日のうち、19日。そのうち旅が8日。残り11日。実に、11回も飲み会をしたことになる。ああ一回は公園で一人のみw

言い訳をするのであれば、100日も飲まなかった日があるのはすごいと思う。そして、ある意味では完全に禁酒するよりも難しいと言われている節酒に今励んでいる。これもルールは守れているから、引き続き気を引き締めていきたい。とにかく、家では飲まなければ、自分にとってはOKな気がする。例えるなら、ギャンブルはしてもいいけど、小遣いの範囲でしっかりとやれ、みたいな感じですかね。ギャンブルはそんなにしたことはないけれどもw

 

 

9月。なんか、非常に毎年9月に入ると寂しく感じる。夏が終わり、日没は確実に早くなっていき、涼しくなり、年の終わりを感じさせることが増えていく。

 

本日はやはり酒の影響で、2時くらいまでだらだらとしてしまった。確実に体が疲れていた。これからはやるべきことをしっかりとやろう。酒にはもう逃げない。薬物には頼らず、快楽と破壊を生み出していこう。

禁酒記録 118日目 悲しみの果て

家では飲まない禁酒記録118日目。うち飲酒18日。完全禁酒3日目。
 
 
本日も仕事は簡単に切り上げた。決して仕事に対して、手を抜いているわけではない。ただ、なんとなく居心地が悪いのだwだから相変わらず、うらなりのように粛々と過ごしているし、遠慮するべきところはものすごく遠慮をしている。それでよかろう。
 
 
禁酒・飲酒は人生に関わってくる問題だと思う。それもいろんな形で。アル中になって自分の人生を壊し、家族すらもめちゃめちゃにする。ひどい話だ。しかし、なってしまった原因は仕事にあったら悲劇だと思う。家庭を守るために一生懸命働いたのに、結果仕事の重圧が多くなり、酒に逃げ、家族を壊すとか。。。
 
 
何が言いたいかというと、そういう負担は、できる範囲でしっかり省いていきましょう、ということだ。避けられる痛みはどんどん避けるべきだ。今の私でいうと人間関係。
とくに私の場合は、すでに、禁酒の離脱症状による苦しみ、もともとの鬱持ち、さらに今は人生の悲しみも抱えている。もうこれ以上、痛みとかいりませんwww自分で自分を追い詰める感じ(筋トレとかランとか)は進んでやろうとは思っていますが。これ以上、人生のかなしみとかは結構ですw
 
というわけで、本日も静かな方向を選んだ。これでよいのだ。仕方あるまい。
 
 
 
エレカシの「悲しみの果て」で、こう歌われています。
 
涙の後には 笑いがあるはずさ 誰かが言っていた 本当なんだろう
いつもの俺を わらっちまうんだろう
 
 
人生の辛酸を感じてきているミヤジがいう言葉にはいろいろ重さがある。ミヤジやメンバーもきっと、そう自分を思い込ませることで、なんとか懸命に立ち上がってきたのだろう。これからもきっと。
 
 
これからも日々仕事はあるが、なんとかぼちぼちやっていこう。
 
 
 
本日は飲みになったため、飲むこととする。これで一連の飲みは終了と言えるだろう。また明日からはまたストイックにやっていきたい。
飲むときはしっかりと楽しむ。そして、こんな自分にも付き合ってくれる人がいる。そこをしっかりと刻んで過ごしていきたい。
 
 
 
 

禁酒記録117日目 嗚呼 学生時代

 
家では飲まない禁酒記録117日目。うち飲酒18日。完全禁酒2日目。
ラン1キロ 継続2日。
 
 
 
本日は出張だったため出かけた。その出張は割かし早く終わったので、近くにあったかつての大学を尋ねることにした。去年も何となく尋ねたので、1年ぶりである。その前は6年ぶりくらいだった。用もないのにw知っている人もいないのにwww
 
 
久しぶりに大学に行くと、やはりいろいろな記憶がよみがえってくる。楽しかったこと、歯を食いしばったこと。一応それらがあって、今の自分があるわけだ。
しかし、今の自分はかつての学生時代の自分が見たらどう思うのだろうか。まあ悪くない未来だな、と思うのだろうか。それとも、こんな未来にはなりたくねえ!っておもうのだろうか。
逆に、もし今の私が、当時の自分に会えたとしたら、なんと声をかけるのだろうか。今のままがんばれよ、とでもほざくのか。それとも、これだけは、、、と言えるのだろうか。
それも何一つわからない。教えてください、ディラン。
 
 
かつての恩師を尋ねようと思ったのだが、部屋の前まで言ってやめた。なぜなら、部屋の中から声が聞こえてきたからだ。
大学は夏休みだろうから、授業ではないだろう。しかし、アポもなく突然に訪問し、しかも誰かといるところに行く、というのはさすがに厚かましすぎると思い、遠慮することにした。この辺りは、意気地がないとみるか、配慮できたとみるか、意見が分かれるところだろう。
 
 
その後街をぶらつき、4時ごろ帰宅。結構飲酒欲求があったのだが、なんとか今日もフリーでしのいだ。飲まずに、今日やるべきことをなんとかこなした自分が今、これを書いている。最後のタスクとして。あるいは、生きるための、生き延びるための手段として。今日も飲まなかった。頑張ってよかった。
 
 
飲酒欲求を防ぐにあたって、もし飲んでいたら、これができなかっただろうとマイナスで考える。逆に、飲まなかったから、これだけのことをこなすことができた、としっかりと認識したい。そして飲むときは、友人としっかりと楽しんで飲む。それを心がけていきたい。
 
 
4時~5時
布団の上で休憩。さすがに、歩きっぱなしで疲れていた。30分ほど昼寝。この昼寝も、30分で十分に疲れが取れるし、自然と目が覚める。これもビールを飲んでいたら、こうはいかないだろう。
 
5時~6時半
5時に目が覚め、アデルとガガ、エドシーランを聞く。ラーラーウラーラーのバッドロマンスがカッコいい。彼女らみたいに、ブルーノートが歌えたらなあ。。。
 
6時半~7時半過ぎ
仕事。これも集中してできた。
 
7時半~8時半
食事+家事。酒を飲まない分しっかりと食べる。しっかりと家事をする。
 
8時半~9時
他の人のブログを見る。世の中には、本当に面白い文章を書く人がたくさんいる。「ハッピーエンドを前提として」というのが非常に面白い。
 
9時~10時
ラン  歩き3キロ+ラン1キロ。また少しずつ増やしていこう。大切なのは、ぼちぼちしていくこと。派手な炎は必要ない。炭火が必要なのだ。走り終わった後の汗と、炭酸水が気持ち良すぎる。ビールよりもよっぽど幸福感を与えてくれる。楽なものに逃げるなよ。
 
 
10時~10時半 
入浴。お湯をしっかりとため、マッサージをしたりしてつかる。これもやはり気持ち良い。
 
10時半~11時半
明日の準備+ブログ。12時就寝予定。
 
 
 
うむ。こうやって記録すると、やはり飲まなくてよかったな、と思う。もし昼に飲んでいたら。かつてのアル中の自分が、5時や6時に飲み始めていたら。。。そう考えると、時間とエネルギーの無駄さというのは実に恐ろしい。これもしっかりと肝に命じよう。
 
 
 
明日も仕事で、いろいろあるけれど、なんとか頑張ろう。そうすれば週末である。
 
本日もお疲れさまでした。見てくれて、どうもありがとう。

同日 その2

なんとか今日も飲まなかった。今12時半。そろそろ眠い。昼3時間寝たにも関わらず眠い。

 

さっきブログを書いてから、正直飲みたいな、と何回も思ってしまった。よく考えたら、土、日、火、飲んでしまったのだ。これではアルコールがまたどんどん侵食してくる。本当に気を付けよう。今週の金曜以降は原則飲まないで行きたいな、と思う。あるいは、3杯までと決めた、限定の飲み方を練習していこう。

 

 

いろいろとうまく行かないことが多いため、どうしても飲酒欲求を刺激してしまう。しかし、家での惰性の飲み、それから逃げの飲みはしないと決めたのだ。それは疑っては行けないし、しっかりと守らなければ。

 

 

 

食事をしてから、家事をし、adeleとガガを聞いた。アルバムfame のspeechlessがとてもいい曲だと思った。それからランをした。これからまた、ランを続けていこうと思う。汗をしっかりかいた後、20ほどかけてゆっくりと入浴し、マッサージもした。歯もていねいに磨いた。その後、また音楽を聴きながら他の人のブログを見たりした。

 

こうやって書くと、けっこう充実しているように見える。もし、例えば、食事をする前にもう飲んでいたとしたら。または、食事の後、もういいや!!と投げやりになってしまい、飲んでいたとしたら。できることはせいぜい、音楽を聴くことくらいだろう。それも集中力がないから、あまり心から聞いているとは言えない。歌詞も覚えられない。止まらなくなってしまったら、家事もしないし、ひどい時には歯磨きすら嫌になってしまう。

 

 

 

 

なぜ飲みたくなるか。私の場合は、2つである。快楽を求めるのと、破壊を求める。この矛盾した2つとアルコールは満たしてくれるため、求めてしまうのだろう。アルコールの快感と、酩酊した状態での自己破壊。

 

ちょっとこれを求めて飲酒欲求と戦ったが、すぐに思い直した。快楽は、充実した食事、ラン、歯磨き、マッサージ、入浴、音楽、歌、歌を練習した後の充実感などで生み出せる。自己破壊も同じく、ラン、歌、英語などにひたすら打ち込むことでできる。しかもこれは成長というおまけつきである。

 

こうやって書くと、アルコールに頼るか、別の方法でやるかは、考えるまでもない。またもう1度、自分に厳しく行こう。

 

そして。。。昨日また8杯ほど飲んでしまったので、今日がとてもつらかった。いかに体に悪いかがわかる。だるい、眠い、起きられない、脳みそが溶けているような感じ。。。禁酒の時間があることによって、酒に対する耐性が弱くなり、しっかりと向き合っているのだろう。なんという毒物だろう。酒を飲むと、次の日まで影響がでてしまうというのは、本当に恐ろしいことだと思う。これもしっかりと刻んでいこう。

 

 

なんとか飲酒欲求に負けなかった自分が、すこしホッとしてこれを書き、眠りにつくことができる。よかった、今日負けなくて。本日も見てくれて、どうもありがとう。

 

 

 

禁酒記録115日、116日目  日は確実に短くなっていく

家では飲まない禁酒記録116日目。うち飲酒18日。完全禁酒1日目。

 

 

ウーム。昨日も飲むことになってしまい、確実に飲酒日数が増えてしまっている。今週の金曜日も飲むことになっているので、19日になるのか。。。ちょいと飲みすぎだね。まあよい。今は仕事が暇な時期のため、旅にも出たし、誘ったり誘われたりでどうしても飲み会の多くなる季節である。だから仕方ない。これから徐々に忙しくなっているので、また気を引き締めていこう。

 

飲むのはまあ良いのだが、次の日が禁物だ正直今日は飲んでもいいんじゃあないか、とちょっと葛藤してしまった。もちろん飲まずになんとか今までいるが、本当に暇や油断を見つけてはアルコールは入り込んでくる。もう一度気を引き締めなければ。そして、また禁酒日数を増やしていこう。

 

 

 

 

 

 

月曜からさかのぼって。

畑仕事をした。外で一生懸命働くのは気分のいいものだ。周りが仲いい人とかで、話をできればそれはそれでいいし。そうでないのなら、蝉の声や草のにおいにしっかりと向き合って仕事をするのも悪くない。季節の変わり目を感じる、愛でる。。。そんな心をいつまでも持っていたいものですねえ。。。

 

ちょっと気まずい人とも話す。自分のことを煙たがっている人とは、できれば関わりたくない。だが近くにいるのにあいさつもしないのは、こちらから無視をしているような気分になってしまい、それもそれで複雑な気持ちになる。難しいものである。よって少し話をした。

 

このように、人間関係は仕事などを通して関わることによって、少しづつ修復されていくものなのだろうか。それともけっこう複雑に絡まったものはもう直らないのだろうか。わたしはどうしたいのだろうか。

 

答えは風に舞っている。うーむ。そのようなわびしい心情は、この季節の変わり目の夜の涼しさとものすごくマッチしてしまう。秋ってなんかさびしくて、詩人になりますよねw

 

6時に帰宅。ブログ、本、音楽、英語。

 

 

 

 

 

昨日。仕事が昼に終了したため、1時前に帰宅。そんな感じで今の私にとって職場の人間関係はよいとは言えないので、どことなく居心地が悪い。まあ、でも仕方ない。っこんな時期もあるものさ。なすがままに。そして無視しない程度に過ごしていこう。

 

音楽を聴いたり昼寝をする。飲酒欲求も姿を現すが、ここでは飲まない。家では飲まない。ここは断固として守ろう。飲み会になってしまったので、早めに家を出てすこし物思いにふけって飲む。これもたまにだから悪くない。酒に隙を見せてはいけない。

 

そしてこの飲み会が曲者で。。。なんとここにも以前私をはばにした(仲間外れ)、にした気まずい人がいたのだwww行くといった手前、もう断れない。どうしたものか。。。

 

はばにされるということは、一応こっちにも原因があることになる。それが何かは、残念ながら自分にはわからない。しかし、好ましくないと思っているのは確かなのだろう。そう感じている人に対して、さらにこっちから攻めるのは阿保の極みである。だから残念だがもう距離をとるしかない。

 

しかし、なんとも解せないのは、はばにはしたくせに、意外に話しかけてきたりすることである。先週今週の間で、私からはもちろん何もしたりはしないが、けっこう話しかけられた。それも、どちらかというと、気を使ってくれているようにも感じられる。。。依然したことを申し訳ないと思っているからなのか、それとも最初から何も感じていないのか。なんとも解せないねえええ。

 

というわけで、いちおうその真意を確かめるためにも行ってみた。結果、特に発見はなし。私がやや気まずく、以前のようには接することができないくらいである。でもこれも書いていて思ったが。。。もし、はばにしたり話しかけたり、本当に解せないのなら、いつか酔った時にでも聞いてみてもいいかもなと。邪推とか勘違いってのはむだですからね。

 

そんな感じで、可もなく、不可もなく。

 

 

本日も簡単に仕事をこなした。自分のペースでできるのはいいのだが、いかんせん居心地が悪い。今日は敵もばっちりそろっていたwwwウームw

 

私にできることは、無視ではない範囲で関わり、極力接点をもたないことである。よって、本日も絶妙のコーナーリングで位置関係を把握し、距離をとったwwwこれでよかろう。ちょっと寂しいがw

 

本日も今のところ飲んでいない。なんとか持ちこたえている。フリーで飲酒欲求もなんとかしのいだ。あと数時間頑張ろう。

 

本日も見てくれてどうもありがとう。