11時に目が覚めた。やや起きるのが遅くなってきている。節制をしなければ。
食事をしたり、日記を書いたりしたりした。あいかわらずフルーツジュースがうまい。この日はスターフルーツを飲んだ。酸味が心地よく、とてもおいしい。
13時にホテルをでた。バスの予約をするためだ。KLも四日目となる。そろそろ南下しなければ。
KLももう十分という気持ちになったので、次の行き先はマラッカにした。
沢木耕太郎が、夕日がとてつもなく大きくきれいだと紹介したマラッカ。ポルトガルに統治されたことから、ポルトガル色の強い町となっており、世界遺産となっているようだ。ここに少し立ち寄り、シンガポールに向かうことにしようと考えた。
いくつか電車を乗り継ぎ、バスセンターに着いた。年末のためか、とても混んでいる。年末をこのように暑い国で過ごすと、季節感がまるで逆になってしまうため、なんだか妙な感じがする。もし日本いるとすれば、今頃は真冬のなか歳末セールで街もテレビもひしめいているのだろう。夏が好きなわたしにとっては、このような過ごし方はとてもありがたく新鮮な気がする。
バスの予約を無事に終え、わたしは昼食をとることにした。大きいバスターミナルのため、まるで空港のようだ。フードコートまである。わたしは近くにあったカフェテリア式の食堂に入ることにした。
ライスとカレーと、魚のフライとコーラをもらった。これで約300円。とても満足のいく食事となった。しかし、、、これが悲劇の始まりだった。
ホテルに戻り、少し休むことにした。KLについて調べたら、音楽の博物館があるようだったので、最後に行ってみることにした。
最寄り駅についた。大きいモスクがあり、広場のようになっている。芝生もあり、人々が思い思いに過ごしている。
わたしは博物館らしき建物に歩いて行った。
その時、体調に違和感を感じた。どうしたというのだろう。ホテルを出るときは全く普通だったのだ。吐き気のようなものを感じ、すごくだるい。気持ち悪い。階段に座って少し休んだ。
少し楽になったので、また歩き始めた。
しかし、ますます気持ち悪くなってくる。ちょうどインフォメーションセンターがあったので、休憩がてらそこで博物館の場所を尋ねることにした。
話によると、なんと博物館はもうないということだった。私の得た情報が古かったようだ。仕方がない。体調も思わしくないし、帰ることにしよう。冷房の効いた部屋のソファーで少し休み、建物を出た。
しかし歩き始めると、とてつもなく気持ち悪くなってきた。もう歩いてはいられないほどだ。しかし、かといって座っていても気持ち悪いし、暑い。力を振り絞り、歩き始めた。
すると、ものすごい吐き気が襲ってきた。それは今までに感じたことのない、とても凶暴な吐き気だった。私の胃が、そのまま出てくるのではないかと思うほどの凶暴さだった。
せめて道にど真ん中に戻すのは避け、花壇になっている壁に吐いた。止める力など全く無抵抗に、胃が異物を押し出してくる。全くの無力だった。わたしは胃が空になるまで吐いた。
すると、途端に楽になった。食中毒か何かだろうか。おそらく、昼に食べた魚があたってしまったのだろう。びっくりするほど楽になった。冷静になってくると、神聖なモスクの前でこのようなことをしてしまって、大丈夫だろうかと不安になった。また、嘔吐してしまったのがカレーだったので、なおさらたちが悪いwww
気分が落ち着いてきたので、この吐瀉物をどう処理するか考えた。持っているのはポケットティッシュ一つだけだ。
なんとか、できる範囲で片づけた。近くで働いている人たちもいたが、あまり助けてくれる様子でも怒ってくる様子でもない。もう立ち去ることにしよう。
自分でもびっくりするほど楽になったので、なんとかホテルに無事に戻ることができた。
ベッドに横になり水を飲んだ。
天井を見つめてぼんやりとしていると、「旅」というものが少し恐ろしくなってきた。
もし電車の中であれをやってしまっていたら。。。あるいは、あのまま胃を通過し、本当の食中毒になってしまっていたら。。。などど、いろいろな考えが浮かんでくる。
異国には異国のルールがある。日本の常識は通用しない。もし電車でやってしまっていたら、罰金などあるかもしれない。また、もし私の吐瀉物を誰かにかけてしまったら、大事になってしまっていたかもしれないのだ。。。
いろんな意味で、間一髪セーフだったことに心から安心した。消化される前に外に出してくれた、私の胃にも心から感謝したい。
わたしは旅に慣れてきたとうぬぼれていたのだろうか。いや、私は「旅」をなめたことなど一度もないはずだ。
今まで旅したどこででも、旅をしているときは普段以上に健康に気を使い、必要を感じれば休んだ。必要な情報は仕入れ、犯罪などの危険にも注意をしてきた。その結果、今まで一度も危険な目に合うたこともなければ、大きな病気になることもなかった。でも、このようなことが起こってしまった。
今回の旅はなかなかハードだ。旅における成長、いい意味でも悪い意味においてもの成長を感じてしまったり、食べ物を自分がかみ合わなかったりと。特に、今までいろんなところで、お世辞にも衛生的とも言えない料理を食べてきて何ともなかった自分が、このような拒否反応を出してしまったことは、少なからずショックだった。。。
気づいたら寝てしまっていたらしい。体調が回復したので、KL最後の夜に出かけた。
ハードロックカフェに行き、ボンジョビを聞きながらビールを飲み、フライドポテトを食べた。その後、外国人の旅行者が集まる飲み屋街に行き、ポールアンカやニールセダカを演奏しているバンドを見た。どの店も中が見えるつくりとなっているので、ふらっと立ち寄りやすく、はしごがしやすい。KL最後の夜を当てもなく練り歩いた。
12時ごろホテルに戻った。昼に胃の中のものを全部出してしまったからだろうか、とてつもない空腹を感じたので、いつもの中華屋でお粥をもらった。五臓六腑に染み渡るおいしさだった。
シャワーを浴び、寝る支度をしてベッドに入り、電気を消した。繁華な通りに面しているため、行きかう人が見え、声が聞こえる。KLというアジア屈指の大都会は、このようにずっと明け暮れていくのだろう。
真夜中だというのに、ストリートミュージシャンの歌が聞こえてくる。ストーンズのhonky tonk woman、ボブバーリーのis this love。それぞれの人が、それぞれの生活をし、それぞれの何かを探している。
ありきたりのフレーズだが、人は本当に、どこから来てどこに向かうのだろう。何を探しているのだろう。そんな人間が70億人もいるのだ。70億通りの人生があり、その一部が私の人生と交錯する。その壮大さに頭がクラっとしてくる。
U2は、i still haven't found what i'm looking for と歌っていたような気がする。私も、自分が何を探しているのかさえわからない。このように異国をほっつき歩きながらも。。。
いや、わからないからこそ、このように歩き続けているのだろうか。。。