9時半に起き、朝食を食べた。今日は宿を変えるため、荷造りをした。バッグを置かせてもらい、観光がてら散歩に出かけることにした。
穏やかな気候の中、マーライオンを目指しながらてくてくと歩いて行く。全く正月という気分ではないが、のんびりとした気分になる。
マーライオンパークに着いた。世界三大がっかり観光地とかと揶揄されることもあるこの場所であるが、なかなかどうして壮観である。高さ8メートルほどのマーライオンからは水が噴水のように出され、なかなかの迫力だ。遠くにはマリーナベイサンズが見え、湾が広がっている。この2つが見えるように写真を撮るのが人気らしい。インスタ映えするのだろう。たくさんの観光客が楽しそうに写真を撮っている。
私はカフェで休憩を取ることにして、ストロベリースムージーを頼んだ。
程よい疲労のもとで観光客や風景を見ながらぼんやりしていると、いろいろな考えが浮かんでくる。
ここにくる大方の観光客は家族や友人、カップルなどで来ているようだ。みな幸せそうに談笑したり写真をとったりしている。日本人も多い。
彼らは幸せそうに見える。私はと言えば、幸せなのだろうか?
客観的に見れば、2週間もの休みをとることができ、そこまで貧乏旅行というわけではなく(もちろん贅沢でも決してないが)、好きなことを好きなようにできているのだから間違いなく幸運というべきだろう。
しかし一方では、彼らの旅とは全く自分の旅が異質なものであることにも気づく。彼らの旅、旅行が例えば、添乗員付きで、パックツアーで、家族や友人たちとの思い出作りやレジャーで来ているとしたら、そこには「修行」的要素は含まれないだろう。かつて私もそのような旅をしたことがあったから、違いも分かる気がする。
修行というのはいささか大げさに聞こえるが、例えていえば私の旅はマラソンのようなものだろう。自分で好き好んでやってはいるが、けっしてただのレジャーではないように感じる。マラソンのランナーが、まるで何かに反抗するかのように走っているように。
10キロ近くの荷物を担ぎ、独りで、格安の移動方法や宿を探し、何かを探すかのように街中を歩き回る。観光地らしい観光地よいはむしろ、そこにいる人間の営みのほうにはるかに興味がある。過酷ですらある。
ひとつ、ありきたりの言葉でいえば、わたしは自分を試したいのだろう。異国の地で、頼るあてもない場所で、自分がどこまで通用するかを。どこまでできるかを。
しかし、その先には一体なにがあるというのか。ゴールもなければ拍手もない。賞状もなければ、メダルもない。いつまでこんなことを続けるのだろうか。。。
そんなことはとりとめもなく考えていると、coldplay and chainsmokersの「something just like this 」がかかった。
歌の中で、クリスマーティンは、
スーパーヒーローになんかなる必要はない、だれかごくごくそばにいる人の大切な存在になれれば、
というように歌っている気がする。
しかし誰だって大きなことをしたいと願う心はあるのではないか。オリンピックのメダリストをメディアが称賛するのは、偉大である、善であるからではないのか。そもそもクリスだってスーパーヒーローだから矛盾しているようにも聞こえる。
答えは風に舞っている。いずれにしてもいい曲だ。
その後邪魔にならない川のほとりで、ギターを弾くことにした。お金を稼ぐことが目的ではないので、看板は出さない。日本人の旅行者が話しかけてくれたり、中国人の青年が1000円ほどくれた。ありがたかった。シンガポールのささやかな記念としてとっておこう。
その後、荷物をとり別のホステルに移動することにした。
最寄り駅に着くと、例によってスコールである。駅から10分ほどは歩くらしいので、この雨ではさすがに歩くことはできない。なぜかタクシーも見当たらない。仕方がないので、コーヒーでも飲むことにした。スコールに捕まったら待つしかないのだ。
いつまでたっても止む気配はない。そこでまた詩を書くことにした。
できていたメロディーに詩をつけていく。瞬く間に3曲分書いてしまった。
この旅の収穫と言えば、曲や詩が書けるということに気が付いたことだ。もちろん人にとっていいか悪いかではなく、自分にとって満足のいく、納得のいく曲をという意味で。
今までずっと、「曲を作る」ということに関して中途半端にしてきたが、やっと今になってこの年になって、できることが見つかったような気がする。それは旅に出て気づいた、大きな発見だった。このスコールは恵みの雨だった。
なんとか雨も上がり、ホステルにたどり着いた陽気なスタッフと旅行者、快適な部屋が待っていた。前回の宿とは違い、ここは大当たりだった。
夜街に出かけた。他民族国家ならではのいろいろなものを見ることにした。ヒンズー系のダンス、ロシアのダンス、ライブハウス、クラブ。。。時間の限り、見て回る。
気づいた時には真夜中になっていた。
ホステルに近くまで戻り、まだやっている定食屋があったのでラーメンを頼んだ。目の前の通りには、この厳しいシンガポールで、路上賭博に勤しんでいる連中もいる。こちらに目で合図を送ってくる男もいる。おそらく、ドラッグの売人だろう。
シンガポールは安全で健全な国家、という光があれば闇もあるのは至極当然である。ニーチェは「昼の明るさに夜の闇の深さがわかるものか」というようなことを言っていた気がする。夜の世界でしかいられない人間もいるのだ。
それが違法であるとか、善だとか悪だとか、いったい誰が決めることができるだろう。