禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒記録 76日目 公式の飲み会にて

76日目。朝は相変わらず、つらかった。しかしなんとかやりきった。今日でひと段落である。しかしあまり感慨がない。酒が飲めないからか、それとも慣れてしまったからか。。。

 

 

 

午前中は相変わらずバタバタしていたが、なんとか無事におわった。たぶん。

 

午後は比較的のんびりしていた。しかしやることはたくさんあったので、それなりに忙しかった。まあなんとかこなす。肉体労働も多かったので、それなりに楽しくはやった。4時半ごろ職場を出て、少しカフェで一服し、飲み会の会場に向かった。

 

 

 

 

何とか今日も飲まなかった。

 

 

 

そして、初公式の飲み会での、酒なしでの参加である。結果は。。。あまり楽しくは過ごせなかった。まあ、そんなものだろう。

 

 

今の私の気持ちにもあるし、近くにいたメンバーにもよる。そして、なにより酒がないのがつらいのだろう。逃げるようにトイレに行ったり、そのたびに早く終わってほしいと思ったりした。

 

 

 

今の私の職場に対する気持ちとしては、あまりいいものがない。まあ、なんとか最低限はこなしてはいるし、うらなりくんとして静かにしてはいるが。

 

 

しかし、7月頭に少し嫌なことがあったので、その傷がまだ癒えないでいる。それは客観的に見てもやや礼を失したことだと思われるので、消化するのに時間がかかりそうだ。仕方あるまい。

また、今の私のポジション的あまり全体に関わる必要がないので、人と関わることを極力避けている。そんな状態だから、なんとなく気まずさを感じている。

 

 

また、アルコールという膜がなくなってしまったため、常に鋭敏な感性になってしまった。鋭敏というと聞こえはいいが、要は裸で世界にほっぽり出されたような感覚である。五感をものすごく刺激してしまう。とても繊細になってしまった。

まあ、簡単にいうとやや気まずく居心地がよくないのだ。仲いい友達もいなくなってしまったし。酒飲み友だちもなくなってしまった。

 

 

 

 

 

近くにいたメンバーはその中でも比較的良かった。でもやはりよっぽど仲が良かったりしないと、ずっと会話など持つものではない。私も年をとり、話す話題にも限りが出てくるようになってしまった。会話を楽しむというよりは、場を持たせるために会話をしているといった感じだった。

 

 

 

振り返ってみると、これらのマイナス的要素をまとめたのが、酒であった。仮に気まずくても、会話を持たせれなくても、酒があるから持たせることができる。ただ酒を勧めたり飲んだり。それだけで場が楽しくなったりする。そんなことも今まで幾度となく合ったりした。しかし、今日はもう飲まないと決めたのだ。もう後戻りはできない。。。

 

 

近くにいる人と場を持たせるための会話をし、時間を稼ぐ。遠くから聞こえる笑い声に耳をふさぐ。まったく、やれやれな会になってしまった。

 

 

 

 

それでも一応2次会はいってもいいかという気持ちもなくはなかった。おそらく、何か楽しいことを期待していたのだろう。しかし店を出てから待っている間が長く、全員を待たず2次会の会場に行こうという流れになった。そこで行くわけにもいかない。その場にいた数人に話をし、帰ることにした。

 

 

 

2次会に行かなかったことなど、考えてみれば数年ぶりだった。飲むならとことんいくところまで行くというのが、私のモットーのようなものだった。しかし、今は楽しくない1次会の後で、帰りの電車に乗っている。。。またしても自分がものすごくみじめに感じられた。

 

他のテーブルからしばしば楽しそうな声が上がっていた。それをしり目にウーロン茶とたいしておいしくない食事をとる。なんで私はこんなことをしているんだろう。。。と思ったりもした。

 

そんなことを思い出しながら、電車を降りた。今頃は、2次会で盛り上がっているんだろうなとか、そこで何か生まれたりするんだろうか、とかを考えながら。正直なところ、電話でもなって、だれか自分を呼び戻してくれないか、と未練がましく思ったりしたのも事実である。それが、酒なのか、それとも飲み会、という場なのか。私にはわからないが。夜10時だというのに生暖かい空気の中、空には半分の月が出ていた。

 

 

 

 

 

行きつけのバーに行き、すこし世間話をして、ドラムを書かせてもらった。しかし、この気持ちは消えることはなかった。この気持ちとは、みじめで、孤独で、何か損したようにも失ったように感じ、やり場のない感情である。今この感情に対処するには、筋トレかブログか歌しかない。それが分かっているだけいい、と自分に言い聞かせる。

 

 

後は自分に言い聞かせる言葉。禁酒セラピーの、一度した決断を疑ってはいけない、という言葉。とあるブログの、どうせ酒の場での一体感なんて、次の日には忘れられている、という言葉。このやりきれない気持ちもきっと、自分にとっては必要のなのだ、という言い聞かせる言葉。五感がむき出しなだけに、すべての感情や刺激が裸の体に注いでくる。

 そして、今夜すべてのバーで。「私は世間に悪態をつきながらも、一人にされると誰かに声をかけて欲しいと願う、どうしようもない酒のみだった。」私が2次会にいないということを誰か寂しがるのだろうか。きっと、寂しがってほしいのだろう。しかし、同時にこうも思う。どうで行ったって無意味だよと。それが事実だと思う部分と、そうであってほしいと思う部分。複雑な思いが煙のように胸の中にたまっていく。

 

 

 

私は今、長く続いた悪しき生活習慣にピリオドを打とうとしているのだ。。。と何度も言い聞かせる。そうするふりをしなければ、自分を納得させることができない。これを書いた後は、筋トレでもしようか、ランでもしようか。感情を焼き付くさなければ、呼吸することができない。この痛みもきっと避けて通れないのだ。

 

 

 

人生において、金の斧と銀の斧を両方取ることはできないだろう。きっと、禁酒においてもそうなのだ。何かを失うことなしに、何かを得ることなどできない。。。

 

 

そんなうじうじとした自分をほめてやるとしたら、今日も飲まなかったこと。2次会にいかなかったことだろう。いいさ、散々うじうじすればよいのだ。結果、私は今日も又、一歩より良い方向に進んだのだから。少なくとも、禁酒に関しては。自分に負けなかったのだから。

 

 

 

 

そんなこんなの、実に長い一日だった。なんとか今日も飲まなかった。

おつかれ、自分!とこれを見てくれている人たち!