禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒344   the winner takes it all

 

 

 

評価額29万! 最高値更新!

 

 

 

4時起き。日課。いつも通りこなす。

 

 

 

仕事。本日もなんとか無事に終わることができた。バイト君たちがたくさんいたので、ひょっこり絡んだ。お客さんもよかった。評価額は最高値になった。

 

 

 

 

 

 

 

と、いいこともそれなりにはあったのだが。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やれやれ。大変つらい1日だった。

 

 

 

 

何がつらいのか。簡潔に言えば、私の人生が。直接的に言えば、渋谷の本部で、同僚のめでたい話があった。それが私を非常に切なくさせた。

 

 

 

 

いつからだろうか。人のめでたい話を聴くのがつらくなったのは。きっと5年前くらいからだろうか。

 

 

 

 

私もそれなりに、就職したりして順調に進んでいるように見えた時期もあった。でもいつからか自分の人生に希望があまり持つことができなくなった。期待しないようになったと言った方が良いだろうか。

 

 

 

 

 

そんな中でも地球は回り、周りはどんどんそれぞれの人生を確実に歩んでいく。なんの取りこぼしもなく。はたから見たら、幸せ以外の何ものでもないように。そんな中で、暗闇の中であがいているような私が、どうして心からお祝いなどできるだろう。

 

 

 

 

 

けっして不幸を願っているわけでもないし、めでたいことだ。それは本当に思う。ただそれを、多数の場で祝うことはもうわたしにはできない。けっして。ただただ居心地が悪い。消えてしまいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

winner takes it all     

loser has to fall

its simle and plain

why should i complain

 

 

 

abbaはこう歌っている。なんという真実。なんという歌詞。abbaは本当に人生の細部を歌にしている。ここまで、人生の勝敗について、特に恋愛や結婚などにおいて美しく描き切った歌もあるまい。ただこの曲が頭の中で流れる。

 

 

 

 

 

でもなんとか取り繕い、笑顔を作る。それが大人ってやつだぜ、と自分に言い聞かせる。それでもつらいものはつらい。ますます職場に私の居場所はなくなるだろう。それも寂しいものがあるが、それはもう受け入れるしかない。これが私の人生なんだと。 

 

 

 

 

 

 

 

仕事がひと段落した後も、楽しそうな声が聞こえた。もともと私は今の職場ではなじみがないので、めでたい話があろうがなかろうが関係はない。しかし、さらにいたたまれない気持ちになる。

 

 

 

 私にもかつて、ほんの少しだけだがそのようなささやかな幸せを感じた時期があった。でもそれは本当に一瞬で終わってしまった。待っていたのは悲しい終わり。でも、知り合いの幸せそうな姿はそのような時代を否応なく思い出させる。それがさらに悲劇的に感じさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから定時とともに煙のように去り、急いで帰る。ただ一人になり、ランをするために。このやりきれない気持ちを消化、昇華するにはランにおいて他にない。筋トレでもなく、誰かとの会話でもなく、もちろん酒でもない。ランである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただただ走る。自分に向き合い、考えや思いを体中にかけ巡らせ、物思いにふけり、走り続ける。自分を適度に痛めつけ、心の痛みを体の痛みの置き換える。ある種の自傷行為。でも決して非難されるものではないはずだ。そしてまた、ある種の罰を自分でも与えて、その罰を耐えたことでの解放の意味もあるのだろうか。

 

 

 

テイラースイフトの美しいバラードが流れる。the1.彼女もまた、何か悲しみを背負っているのだろうか。そうして3キロほどでも走り終えると、新しい自分になっている。

 

 

 

このやりきれない気持ちからのランに向かう衝動をうまく書くことができない。もっとこう。。。悶々として、でもなんかその暗闇の中で少しでも前向きに生きていくという希望。それをもっと上手く表現できたらいいのに。きっと村上春樹なら生き生きと描き切るのだろう。または、ジョンとポールなら名曲にしあげるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

でもなんにせよランを終える。シャワーを浴び、しっかりとした食事をして、このブログにもたたきつける。そうすると、幾分気持ちは楽になってくる。

 

 

 

 

 

 

なんとかまだ生きていこう。ひっそりと。でも、強く、確実に、柳のように、水にように。うらなりくんで。私は自分の人生にもう期待はしていないが、絶望もまだしていない。だからまた、明日もいつも通り生きていく。それだけだ。酒は飲まず、ただ日課をこなす。それだけが、ただ私にできることだ。

 

 

 

 

 

 

 ティムクックやスティージョブズは言った。人生の時間は限られている。だから大切に生きろ、他人の人生を生きるな、と。彼らがどの程度の範囲でその言葉を言っているのかはわからないが、私は私なりに生きていくしかない。だから、本当に大切にしたいと思えることや人だけを重んじる。これもミニマリズム。むしろそれ以外にもう、私の生きていく道など残されていない。誰にでもよい顔をすることはもうできない。

 

 

 

 

あともうひとつ。ティムクックは、しっかりと準備をしておけと言っていた。

 

 

毎日努力しておけという意味にもとれるし、どんなことが起こっても想定しておけという意味にもとれる。今回の渋谷の同僚ももうすぐに大きなお腹になるんだろう。1月ほど前、仲のいい友人からも報告を受けたが、きっとそいつも順調に歩んでいくのだろう。彼等にとっての喜ばしいことが、私にとってはやや辛くもあるというのは切ない話だが、せめて、表向きでも笑顔を作り、お祝いができるよう、もう今から備えておこう。寂しいけどね。

 

 

 

 

 

 

読んでくれてどうもありがとう。今週もおつかれさんでした。