禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

節酒記録3年目 day47(禁酒継続175日目)  世の中の棲み分け

節酒記録3年目 day47(禁酒継続175日目)

 

 

 

飲酒0日 (今年の目標40日) (7月0回!8月0回)

 

 

 

禁酒日46日 (今年の目標325日)

 

 

fireまで残り      4年と7か月と12日    達成率 19%      評価額30000円 

(やっとアマゾンが回復してきたか。。。)

 

 

 4時半起き。ちょいとダラダラして、朝の日課を済ませる。それから英語。本日はバルバドスの先生。リアーナについて話す。今日は当たりだった。

 

 

 

職場へ。本日もまた昨日と同じく、ただただこなす。これで十分である。

 

 

 

そういえば。なんでもこの休みの間に、出産があった同僚がいたそうだ。ダイダイ的に、会社の営業ボードの横にその知らせが貼ってあった。もちろんめでたいことである。

 

 

 

 

でも、私はこういう時が1番やりきれない気持ちになる。もっと簡単に言えば、そういう雰囲気の時に居場所がないのだ。全く不思議なもので、世の中の大半の人は本当に、なんというか、着実に人生を進んでいくようねえ。まるでその道には障害物なんて何もないかのように。

 

 

 

もちろんそうでいない人もいるのは間違いないが、私の身の回りの同僚や、昔の友人の多くが、付き合って、結婚して、出産して、家買って。。。と、フツーに進んでいる。あるいは、進んでいるように見える。少なくとも。多少のトラブルとかはそりゃあっただろうが(なんでもかんでもそんなにうまくはいかないだろうからさ)

 

 

 

 

でもこういう人で非常に勘弁してほしいのが、それがもう当たり前だと思っていることだ。

 

 

独身なら相手いるの?、結婚していれば子どもいるの?、子どもが一人なら、二人目いるの?と。向こうとしては、「ふだん土日何してるの?」と同じ程度の質問だと思っているかもしれないが、私のようなもうマイノリティに属してしまった人間からすると、非常にそういう質問でやりきれなくなってしまう。実際今までもけっこうあった。そしてそのたびに暗い気持ちになる。正直もう勘弁してほしい。

 

 

 

一般的に、年収とか貯金とか、年齢とかを質問していくのは失礼とされている。だから上に書いたようなことも、いずれそういう認識になればいいのになと思う。世の中には、大多数に属すことのできない人間も、それなりにいるのだ。そしてこっそり生きているのだ。お祝いされることもなく、目立つこともなく。

 

 

 

というわけで、本来ならおめでとうと言うべきなのだろうが、何も言わなかった。言わなかったというか、言えなかった。もちろん表面的にでも言うことはできるのだろうが、なんだかそれももう意味ないような気がした。私にとっては。たとえ表面上でも言われた方は悪くはそりゃないだろうけど。

 

 

このことで、心が狭いと言われてももう一切構わない。

 

 

きっと、もう私のような立場を理解できる人の方が少ないと思うし、これはなったことのない人間にしかわからない。アル中とか、アル中を家族に持つ人とか、もそのたぐいだろう。

 

 

 

それに、そうやって幸せになっていく人たちは、お祝いの言葉ももらい、プレゼントももらい、いろんなところでなんだか温かい状況になる。まるで、本人も周りもそうすべきことをまっすぐに歩んでいくように。そして、仕事もけっこう休んだりする。子どもの病気だから仕方ない、と最高の理由で。(もちろん仕方のないことだろうが)そうした時にフォローするのは結局、私のような人間なのだ。

 

 

 

自分の願った道には進めなかったのに、でも幸せなに歩んでいる人のフォローもしなければいけない。おう、こう書いてみるとなかなかしんどいのうwwwそこでもこうやって黙って耐えてやっているんだから、この上でおめでとうなんて言えるくらい心も大きくしろなんてのは、いささか求めすぎではないか。そう言えるのなら、そいつはよほどの幸福者である。

 

 

 

 

ってな感じでもうほどほどにスルーする技術もついてしまった。早々と帰宅。本日はもうのんびりとした。のんびりと、でもいろいろと勉強できたので悪くなかった。

 

 

 

だからもう、今の職場で誰かと仲良くなったりすることもないだろうな、と思う。もちろん残念なのは私が1番感じている。どっちみち今年はコロナでレクも飲み会もない。(飲み会もあったとしても行かなかったとは思うが)もう、職場の人がどうこうというより、私自身が今の仕事に、職場に限界なのだ。もう住む世界が違いすぎる。前の職場や、同期とも、もう飲んだりすることはないだろう。共通の話題がもうない。そして、だからこそマラソンをしようとか、何か別のつながりがあれば1番いいなとは思う。でもそれはどうやら、なかなかハードルが高いようである。だからもう仕方ない。それだけである。これも一つの棲み分けである。人には人に、属する領域や世界があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日はまた海に行こうと思うので、ランは休んだ。でもただ何もしないのではなく、ストレッチと空手をした。こういう毎日必ず何かをするのが大切なのだ。きっと。

 

 

 

まあそんな感じ。明日もまた一生懸命走ろうかね。