禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒記録111日目  台風の中で

本日は仕事に行くつもりで7時半に起きたのだが、台風がひどかったため中止となった。確かに外を見ると、風や雨がものすごい。

 

しかたない。時間がひょっこり空いてしまうし、そういう時はちょっと鬱気味になってしまうけれど、なんとか家で過ごそう。暇だから飲酒欲求も刺激されてしまうだろうが、なんとか耐え抜こう。仕事に行けなくもないのだが、逆にこんな日にも仕事行く、という自分も嫌だった。

ウーム。というか、これもひどいな。何をするにしてもいやだ、いやだ、ではないか。

 

仕事行くのは、この台風の中行きたくない。ましてやこんな中にまで、仕事に行く、という行為そのものが嫌だ。よほどやることがあるのなら別だが。

かといって、仕事に行かなくたって、家にずっと閉じ込められることになるし、鬱気味にもなってしまう。うーむ。だだっ子のようだw

 

この天気に文句の一つでも言ってやりたいとこだが、それは懐が狭すぎる。それは、災害で苦しんでいる人たちに申し訳なさすぎる。だから、僕なりに精一杯できることをやって、本日を生き延びよう。

 

 

 

 

 

まだ眠りたかったし、布団の中でだらだらもしたかった。でもとりあえず体を起こした。掃除をした。

最近読んだコラムに書いてあったのだが、朝起きて一番に掃除をしたり、ベッドメイキング程度のすることはとてもいい習慣だそうだ。確かに、ちょっと掃除をしたら、じゃあごみ捨てでもしようかな、とか歯を磨いて本でも読もうか、という気になった。いい調子である。自分の精神状態と飲酒欲求をしっかりとコントロールしていこう。

 

その後、『若き数学者のアメリカ』という本を読み、アデル、ジョニミッチェル、ガガを聞き、朝食をとる。ちょっとブログを見たりしていたらなんとか11時である。こういうやや鬱気味で、予定のない休みのない日の午前中、午後はすごく長く、苦しく感じる。正直飲みたい。しかし飲むわけにはいかない。一人で飲むのは、旅先か、バーでのときだ。だから離脱症状には負けるわけにはかない。しっかりと自分でやるべき課題を与え、乗り越えていこう。

 

ぽかんとできてしまった休日とはいえ、やりたいこと、やるべきことはたくさんある。ブログ、本、英語、音楽、ラン、それから日々の雑務。しっかりとこなしていこう。それしかない。酒を飲んで頭をマヒさせるのは楽だが、それはなにも生み出さない。せめてできることをやろう。

 

 

 

 

 

ちょうど時間もできたし、昨日書いたことをもう少し詳しく書いておこう。

 

イベントの後の飲み会に関して。正直なところ、私はそれに行きたかった。でも行けなかった。いくつかの理由で。一つは、ちょっと気まずい人がいること。もう一つは、気まずい人がいなくても、なんとなく自分が気づまりに感じてしまうようになってしまったということ。簡単に言うと、話す話題がないというか、または飲み会での話題についていけなくなってしまったということか。これは禁酒にも関わっているけれど。

 

 

一つ目に関してはまあ良い。そういえば、別の人のブログのコメントで、「許す事は出来ても、忘れる事は出来ない。」と書いてあったのだが、いい言葉だと思う。時間がたてば、けっこう許すことはできたりするが、なかなか忘れてしまうことは難しい。それとともに、生きていくしかないのだろうか。

 

二つ目。なんとなく居心地の悪さを感じるようになったこと。これはまあ、人生のレールから外れた人間が感じてしまうものだろう。

 

人生は、ある程度社会からの常識や圧力がある。学校、就職、結婚、出産、家、が大きな段階だろうか。それらの段階をしっかりとクリアーできていった人間、またはそれをやろうとしている人間は、何も負い目を感じることなく生活できる。しかしそこから一度外れたり、乗り損ねてしまうと、途端に人生は厳しくなってしまう。

 

 

例えば、学生時代だったら、勉強などしていなくても、部活や遊びに励んでいても許される。それは「学校」というレールの中にいるからだ。もし学校をやめた人間が、ただ遊んでいたら気まずくなるし、周りの目も厳しくなる。また、それまでの友だちとも話が合わなくなってしまうだろう。

 

私は会社に勤めながら空手をしていたことがあった。しっかりと働きながら、好きなこと、空手をする分にはだれも文句は言えない。しかし、私は会社をしばらくしてやめてしまうことになり、無職で空手に勤しんでいた時期があったwww

夜の公園でシャドウをしたり、ひたすら走ったりもした。私としてはいろいろ考えた末での行動だったのだが、周り、特に家族から見れば、職にも就かず好きなことだけして、何やってんだよという話だっただろう。そして私自身、人生初の、学校や会社といった、所属する場所が何もない、ということにけっこう不安を感じたものだった。もちろん蓄えがあるわけでもなかったし。

 

幸いすぐに再就職できたため、大きな劣等感や気まずさを感じることはなかった。しかし、もしもその状況が長くなっていったら、空手仲間とも、学生時代の友人たちとも会うのが気まずくなってしまっただろうと思う。だって、みんなはしっかりと働き、嫌なこともやり、その上で飲み会なり好きなことなりをしているのだから。

 

 

 

 

なんとかレールに戻れた私だったが、再び私の道はどん詰まりを迎えてしまった。次の向かうべき道が全く、わからないでいる。その状態だからこそ、まばゆいばかりの光を放つ人たちが集まる飲み会という場が居心地が悪くなってしまっただろう。もしかしたら、私も数年前まではそっちの側にいたのかもしれないが。。。

 

また、今思うのは、飲み会では楽しいこともあるけれど、結局話の内容が薄くなってしまうことだ。そんな気持ちの今は、大人数の飲み会より、少人数のしっかり話の出来る人と飲んでみたいな。。。と思ったりもした。

 

 

 

 

もちろん嘆いてばかりはいられない。少しでも前向きに生きるため禁酒をし、日々やるべきことを自分に課し、なんとかそれで崩れそうになる自分を保っている。今のところ、なんとか。それしか今の自分にはできない。

 

 

残念だが、終わってしまったのだ。こればかりは、逆立ちしたって、取り戻すことはできない。それを認めなければ。確実に歳月は流れ、時代や人、私の周りも変化した。それに合わせて変化できなったのは私であり、その厳しい現実に向き合わなければならない。

 

いや、もちろん私だって変化もしたし、行動もした。仕事でもそれ相応の経験を積み、本や音楽、英語である程度の知識を蓄えた。生き物の命を喰らい、排せつ物を製造し、年齢を重ねた。体の衰えが少しづつ感じられるようになってしまい、確実に時間はその取り分をとっていった。年を取っていくということが、非常に恐ろしく感じられる。ただ、その段階を超えることができなかった。。。

 

 そんなことを感じながらの禁酒なので、非常につらい。めっぽうつらい。飲酒欲求はしばしば現れるし、いつだって酒の海に飛び込む準備はできているwwwでもここが踏ん張りどころだ。

 

雨は収まり、太陽の光がしばしば見られるようになってきた。まったく変な天気である。そんなこんなで、12時。