2025禁酒166日(禁酒217日目)
5時25分起き。ちょっと早くなった。いつものルーティンをこなす。それからは英語にランに読書に修練。
今回も本について。
やはりこの日本の働き方はおかしいのではと思う人、自分らしく生きたい人におすすめです。
目次
古来の日本にはもっとたくさんの生活の糧があった
①作者の伊藤さんとは
京都大学出身の40代半ばの人。自分でできる仕事を「ナリワイ」と呼び、そしてそれを組み合わせて生きているそうだ。具体的に、家を作る過程において、床を張ったり塀を壊すこと、農業、海外ツアーなど。これらを組み合わせてちょこちょこ稼ぎ、生活の糧にしているそう。
現在は本も書いてるし、講演活動もしているみたいだから、その「ナリワイ」的な活動がそうとう多岐に及んでいるみたいだ。
この「ナリワイ」的な考えになぜ至ったかというと、やはり今の日本の働き方がつらいと感じたからだそう。深夜まで働き、その結果毎日アイスを食べないと寝られない体になったらしい。そしてまた次の日体を酷使して働き、働くためにアイスを食べて寝る。これは何かおかしい。と感じたことがきっかけだったそうだ。
➁内容
①そこで、自分が楽しく、健康的に働くためには(生きるためには)、ナリワイという生き方が必要だ、と書いてある内容。ナリワイとは、上に書いたようなまあ、本人も半分趣味だけどちょっとお金はもらうよ、みたいな感じの働き方。
昔の例だと、例えば夏は氷を売って、冬には石焼き芋を売る、みたいな。さらにそこに靴磨きと農業も組み合わせるみたいな。なんでも100年前の日本にはそうした働き方がもっと一般的だったらしい。
でも今の日本では、働くなら会社か起業!みたいな「専売」制の社会になってしまった。だから、その1本で上手くいかなくなると仕事がつらくなる。逃げ場がないからだ。上司や客にも何を言われても、ただただ我慢するしかない、ということになってしまう。
我慢で乗り越えられるうちは良いが、行きつく先は、精神や身体の病気、最悪、死である。これはやはりおかしい。この社会も、国も。
➁あと、「ナリワイ」を持つことは、自分自身を高めていく、ということにつながるということだ。
現在の人の評価基準で圧倒的な基準はやはり「年収」となっている。しかし、それだけではやはり偏っている。だからそれ以外の基準として、「生活においてどれだけのことを自分でできるか」ということも大切だ、と言っている。ナリワイでは年収は大きくはならないが、でも自分でできることも多くなるから、年収だけでは測れないということだろう。
③感想
内容の①➁でまとめたところは、かなり共感できた。
とにもかくにも、今の日本は生きづらい。ワタシなんかにしても、なまじFIREなんて考え方を知ってしまったばっかりに、余計に日本の社会の働き方やシステムの悪いところが目についてしまう。
ソコで、①の「ナリワイ」的な生き方でやっていこうというのは私は賛成できる。実際に、ブログやyoutubeで稼いでいる人も現代のナリワイになっているし、ココナラやクラウドワークスといったサイトやアプリも出てきているから、これもナリワイを支えてくれる土台ができてきているとも言える。だから今、少なくとも再び、ナリワイ的な働き方ができる時代になってきた。だから、そうした働き方はアリだと思う。
さらに➁に関しても、とても納得がいった。例えば、今私は野菜をベランダで育て始めた。これを売るところまで行ったら一つのナリワイになるが、いざ売るとなるとやはりそれなりにハードルが上がる。
でもその前に、自分にとっての収入になるのだ。毎月買う野菜が1000円分でも育てることによって減るのであれば、それは立派な収入。現物収入だ。それ以外にも今の私は、料理やお得な買い物、ポイ活にそうじ、と自分自身に対してナリワイを売っている、ともいうことができる。
そしてこれはお金だけでなく、生活する上での満足感や自信に直結するのだ。20代のころは全然料理なんてしなかったしできなかったが、今は自分である程度作ることができる。作れるから、半端な外食ならしない方が良いと思えるし、人の作った料理を食べてもそのありがたみを感じることができる。これはやはり、人として良い変化であるし、一つの自由さである。
現代は、家事ですら買う時代になってきた。もちろん1部の高収入の人や、仕事が好きな人はそれで良いのだろう。たしかに、ものすごい天才には、家事なんかしているより、その才能を突き詰めてもらった方が世のためにもその人のためでもある。
でも一般人ならば、しょうもない会議や残業なんかしているのではなくて、家事でもしていた方が楽しいし生活の満足度も上がるよって感じだ。そこはとても納得できた。
というわけで、マネできるところはマネしてみようと思ったぜ。
ではでは。読んでくれてありがとうございました。
