禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒125日  キュウリのように涼しい顔をして生きること

5時起き

 

 

日課 今日がイベントでも 雨でも 寒くても日課

 

 

幸い道中はくもりだった

 

 

 

 

 

 

仕事 やれやれ 本日も忙しかった イベントだったし プレッシャーのある仕事をしたぜ

 

イベントをやり

 

ランチの手配をし

 

自分の仕事で そこそこ重いの3つ

 

よく働いたよなニーチェ

 

 

 

 

しっかしその営業イベントもコロナ前が懐かしい。今はとにかく縮小バージョン。本当に淡々と過ぎていくのう。昔ならもっとイベントも濃くて、社員にも熱気があった。終わった後も飲み会してカラオケした。楽しかったのう。よい時代。もう何もかも終わってしまった。疫病は蔓延し、私も年をとり、理解できない若い世代が増えた。そして禁酒をした。まあそういうものなのだろう。

 

 

 

 

さらに、今回のイベントで主賓がいたのだが、かなありちやほやされてた気がする。まあ女性だから余計に周りもそうしたのかもだが。私も2年前、主役級の仕事をした時はでも、あまりねぎらいもなかった気がする。それも人徳なのだろうか。私の人徳がただなかっただけ。あるいは時代の変化。

 

 

 

(ちなみのその時は、普段着ないスーツを着て、髪をアップにして、ピアノを弾いた。これって、けっこうギャップ的シチュエーションではないですかね。でもなんだかあまり反応してもらえなかったwやれやれw)

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、本来こういうイベントは普段はそれぞれで営業しているメンバーが集まってやるので、けっこう一体感のあるイベントである。かつてそれができたころは、仕事も飲み会も楽しかったこともあった。

 

 

 

 

でもうらなり君の私にとってはもう、気持ちよく話せる人はいない。同世代もいない。最初のころは私からも話しかけたりしたが、あまり効果はなかったし(まあこれも私の人徳だ)、善意を見せても返っては来なかった。友だちだと思っていたやつには誘いをスルーされた。

 

 

 

それはけっこう寂しいことだと思う。そりゃ楽しく仕事できればそれが1番良いだろう。でもうまくは行かなかった。私なりに努力はしたと思うのだが。

 

 

 

 

 

でも私なりにちょいと腹が立ったり傷ついたりしたこともあったのも事実だ。ちょいとそれはないんじゃないの、と思ったことも結構ある。だから自然と距離ができ、けっこう疎遠になっている部分もある。

 

 

 

 

 

 

でもこれはこれでなかなか居心地が悪くなってしまう。腹がたって、正直あまり関わりたくない。でも、関わりたくないと思っても仕事だから関わらざるを得ないし、全く孤独はつらいものもある。どっちにしろつらいのだ。

 

 

 

 

だから、もう自分のために、キュウリのように生きることにした。キュウリのように涼しい顔をして生きる。自分で自分を追い込まないために。また、ふさわしい年齢として生きるために。

 

 

 

具体的には。自分に何か好ましくないことが起こったら、まあしゃあない こういうもんだ と、そのまま受け取ること。それに対して、感情は使わない。使わないようにする練習だ。そして、極力忘れてしまい、見ない聞かないふりをすること。それが大事なことだ。たぶん。

 

 

 

 

私ももう決して若くはない。40ももう見えてきている。ちょいと嫌なことがあっても、それを露骨に出すのはやはりこの年齢としてふさわしくはないだろう。だから、そもそも腹を立てない、傷つかない、というようにできればベストだ。

 

 

 

 

これは村上春樹の言葉だし、『反応しない練習』にも通じるものがある。まだ今の職場には最低1時間はいないとけないみたいだから、日々練習をしていこう。日々が練習だ。実験だ。そう思っていきていこう。これが一つの処世術だ。

 

 

 

 

そして3連休。旅にでますよ旅に!さすらおうぜ!

 

 

 

さすらいもしないでーーーーー

 

 

 

 このまま しなねーどーーーー