4時起き
日課 ランは休んで散歩 介護士のたーゆ君という人の動画を見たりする
仕事 なんとか本日も頑張った もうすぐ給料日
ああ あと先週の土曜日にVYMを25万ほど購入 給料の分ですな
ETFは安定しているし、コロナショックからの回復もあってすごい伸びだったから、しばらくはもうETFで行こう
ETFで40%とか伸びるんですからねえ
本日は2時間早く帰宅した。本日は東京の職場だったので、早々と切り上げることにしたのだ。最近週1でこういう日を作るようにしている。週1回でも、2時間早く帰れる日があって、その分のんびりしたり自分の好きなことをできるのはとても幸せである。(でも用事と買い物をしたから、実質ののんびりタイムは1時間くらいだが)
とはいっても、毎日残業1時間はしているから、これでも残業の埋め合わせみたいなものですが。さらに、この早上がりのために、ものすごい効率と集中力で仕事をしている。だから、決して暇とかサボっているとかではない。あとは、比較的に今年は楽な担当である、ということか。あくまで比較的。
特にGWから7月の海の日までは本当に長いからねえ。こういう風に自分で自分を守らねば、とてもではないがもうやっていくことはできない。やりたいこともいっぱいあるし。
ふと思ったこと。先週職場で聞こえてきた会話。
東京の職場で、ある人が休みを取ったらしい。そしてその休みがいつだったのか不確かになってしまったようだ。でも、総務とか管理職とかはそれを管理する側なので、それを大きい声で、やや楽しそうになんやかんやと話していた。休みも子どもの世話なので仕方のない休みらしいし。その休みをとった人(男)に対して、なんと女4人wで、あーだこーだと話していた。
そんなのが背中越しに聞こえてきて、なんとも言えない気持ちになる。
もう私は正直極力職場の人とのかかわりは避けている。そもそも避けるようになったのも、そのような世間一般な会話がもうできないと思ったからだ。その男性は40代で、3人の子育て中で、まさにこう、なんというか、世の中の求める道を確実に歩いている人間だ。だからこそ、そのような会話もできるし、周りも話しやすいのだろう。
それに比べて私はというと、もう40も見えてきているというのに、一人で暮らし、うらなり君を地で行っているような人間だ。そういう、子育てとか、家のローンがとか、そんな世間一般の話はできない。
もちろん趣味とか、今がんばっていることとかの話はできる。でも、4時に起きて、毎朝勉強して、今度フルマラソンに。。。とか話したら、キョトンとされたことが過去にあったので、もうしたいとは思わないw
私はマイノリティなんだとその時にも自覚した。だからもう、話すことなどないのだ。私に興味を持ってくれない限り。場を持たせるための会話や、世間のレールでの会話はもう、することはできない。。。
また、ふと思う。もし私が、そのような道を歩んでいたらどうだったのかって。
家を買って、子どもがいて、仕事もせねばならない。ローンもあり、世話は大変だが、でも世間的には正しいとされる道。年に一回は親に会いに行き、子どもを見せる。孫を見せることが1番の親孝行だ、なんて月並みなセリフを言う。同世代の友人たちとは家族ぐるみでの旅行なんかにも出かけ、職場ではそれぞれの年代に応じた、そのような話をする。。。そしてそこに、ささやかな自信と幸せを感じる。。。
ああまさに絵にかいたような道。平凡だが、でも確実な道。でもそれを平凡というのなら、私にはその平凡すら手に入れることが出来なかったことになる。努力はした。でもダメだったのだ。もう自分の努力とかそのような問題ではない。もちろん自分は自分で怠惰な人間だったのは間違いはないが、かといって何もしなかったわけでもない。ああまるでフランツカフカのように。
だからもう自分の人生には期待なんぞしていない。あやうく一生懸命生きるところだった、にも書いてあったが、もうこの人生を受け入れるしかないのだ。それだけがもう、残された道である。この道で、なんとか前を向いて生きていくしかない。それでもだめだったら、もう良い。グッドバイ、である。それだけのことだ。その時はたくさん酒を飲んでやるぜ。
でもそれまでは飲みません。強く生きるために、ね。
本日もお疲れさまでした!