禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

節酒記録3年目 day83(禁酒継続211日目)   fxxxing ダッシュ村兄ぃ!

節酒記録3年目 day83(禁酒継続211日目)

 

 

飲酒0日 (今年の目標40日)

(7月0回!8月0回!9月0回)

 

 

禁酒日83日 (今年の目標325日)

 

 

fireまで残り 4年と6か月 -280000 ....

 

 

4時30起き。 

 

 

雨の土曜の夜明け前。すっかり夜明けも遅くなってしまった。

 

 

今週は3日だったのであっという間に感じましたな。特筆すべきことは一切ない。5時前に起きる。日課を済ませ、7時半前には職場に行く。仕事は一生懸命やる。営業に関しては、ほどほどに腹のたつこととかもあるけれど、でもほどほどに楽しんでやる。あと1週間でこの忙しいのも一区切りなので、なんとかあと5日ですな。

 

 

 

帰宅してラン。食事。音楽。ってな感じの3日だった。仕事で大きなトラブルもなかったし、健康に過ごすことができた。いいこともなかったけれど、悪いこともなかった。それはきっといいことなのだろう。残業2時間がなくなればもっとよい。

 

 

この土日はラン、プール、音楽と英語、まあ一人で穏やかにでも有意義に過ごそうかね。

 

 

 

 

 

しかし、またあのバカのベースがやりおったののう。。。

 

 

日本の某首都の名前を冠したあのアイドルグループのあのベース。本当くそったれだ。本当にあほだ。あほの極み。救いようがない。なんて弱い野郎だ。金も名声も家族も、世間的にはなにもかも手にした成功者の人生だったというのに。

 

 

 

しかし言わせてくれ。私がここまで罵るのは理由がある。それは、私がヤツにけっこう思い入れがあったからだ。思い入れがあったのは、一つは私の小さいころから有名で、けっこうテレビに出ていたこと。もうひとつは、趣味が同じでとても親近感があったことだ。

 

 

 

そしてもうひとつ大きなのは。。。同じアル中だったのだ。

 

 

 

 

私が3年前禁酒を始めた時(3か月で禁酒はやめて、それ以降は節酒にしたが)、いくつかきっかけがあった。その一つに、この兄いの逮捕があったのだ。酒がらみでの逮捕。そしてその時に、兄いもアル中だったことを知った。

 

 

 

さいころから知っていて、親近感を感じていたアイドルの逮捕。酒がらみでの逮捕。そしてアル中。

 

 

 

犯罪は悪いことだが、私には正直他人事ではなかった。そして、決して兄いを批判することはできなかった。なぜなら、間違いを犯すのは私だった可能性も十分にあったのだ。

 

 

それ以外にもいくつか理由を感じていた。金銭的健康面での酒の害も感じていた。また、自分でアル中だということに薄々気づいていた。そんな時に兄いは逮捕され、私は詐欺未遂に遭うという、なかなかハードな時期だった。

 

 

 

そこで私は禁酒を始めた。理由は。。。これ以上もう惨めにはなりたくなかったのだ。(実際、禁酒を始めた人の多くは、この惨めさを理解しているそうだ。)仕事も音楽も趣味もお金も家庭も何もかもがどん詰まり。その中で、酒を飲んでも何も変わらない。もっと悪化するだけだと感じ、悟ったのだ。

 

 

今でも禁酒を始めたその日のことをよく覚えている。静岡から東京に帰る電車の中だった。春の穏やかな陽だまりの日だった。3か月で禁酒はやめて節酒という形にはなったものの、自分なりにアルコールと戦ってきた。そして紆余曲折アリ、今節酒3年目。そして禁酒はなんと7か月である。。。

 

 

 

だから私にとって、兄い反面教師として教えてくれた存在であったのだ。私にとっては感謝するべき部分もある。身をもって教えてくれたのだから。しかし、2回目とは。。。

 

 

 

だからこそ思うのだ。本当アホだと。なぜ1回目で学ぶことができなかったのか。あの会見は何だったのか。メンバーの謝罪は響かなかったのか。本当にアホだ。

 

 

 

 

 

私はこの3年アルコールと戦い続けてきた。今でもそうだ。今は飲酒欲求をあまり感じなくなったが、それはある意味感じないように抑え込んでいるとも言える。その方法を身に着けたのだ。具体的には、酒に関する知識や害を仕入れ、人体の仕組みを理解した。また、運動、早寝早起き、正しい食事などを実践して、習慣にした。

 

 

それによって、なんとか7か月まで来た。もう1年すら見えてきている。節酒だから別に飲んでも良いのだが、飲んだとしても本当に心して飲む用意がある。

 

 

 

この7か月特に、ひたすら走ってきた。本当にひたすら走ってきた。「がむしゃら」という言葉を私の人生の時期につけるとすれば、この7か月のランに対して贈りたい。本当に7か月、がむしゃらに走ってきた。来る日も来る日も。雨や仕事で走れない日は代わりに家で筋トレをした。

 

 

 

4月は頑張っても2キロくらいだったが、今では11キロ普通に走ることができるまでになった。走ることを通して、私は酒をやめ、自分の人生に向き合い、このぱっとしない人生を受け入れてきた。これはけっして無駄ではないと思う。だからこそ、なぜ兄いはなぜできなかったと思うのだ。。。

 

 

私は7か月、または3年戦い続けた。兄いもそうだったのだろうが、弱さに負けてしまった。これがターニングポイントになってしまった。しかし、私と兄いを隔ている壁はとてつもなく薄い。

 

 

 

 

わずかだがあった復帰への道も、これで完全に断たれてしまった。ジ・エンドである。しかし人間としてはまだ人生は続くのだろう。兄いにとって、ささやかに人間としての平穏な日々が来ることを願ってやまない。

 

 

このブログが兄いに届くとよいのだが。