禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒記録151,152日目   life is waiting

家では飲まない禁酒記録151,152日目。完全禁酒1日目。飲酒合計38日。

 

 

昨日は飲むことになった。まさに、エレカシの「easy go」の歌詞、「偶然とノリと思い付きで さあ飛び出せ」である。

 

7時前起床。本日もイベントの残りがあったため、ちょっと早めに行く。特にやることがあるわけでもないが。

7時半着。ぼちぼちこなしていく。それなりにやることはあったので、一生懸命働く。今の自分にできることを精一杯行う。

その後会議。イベントの残りの片付け。力仕事はそれなりに楽しい時もある。気まずくならないように、人間関係において絶妙な嗅覚を発揮し、絶妙なコーナーリングで仕事を処理するwww簡単に言えば、あまり関わりたくない人の近くにはいかないwちょっと寂しいけれど。これでいいのかとも思うけれども。

 

 

その後比較的仕事が早く終わったため、定時過ぎには職場を出ることにした。

帰り道、ふと思った。先日の飲み会で、何かが動いた。確かに何かが降ってきたのだ。それをつかんでみようと。そこで、同僚に連絡をとり、飲みに行くことにした。

話をしてみたところによると、2か月前私がささやかにショックを受けた出来事があったのだが、それは全く私をその場から外そうとした意図はなかったようだ。つまり、私が勘違いをしたことになる。その勘違いによって、2か月ほど疎遠になっていた、ということだろうか。なんだかよくわからない話である。

 

私もその時はのけ者にされたように寂しく感じたし、少し腹も立ったし、招かれざる客で悪いことをしたな、と思った。しかし一方で、それ以降も以外に、その人たちが話しかけてきたりもするので、どうやらはばにしたいわけでもなさそうだ、とも思っていた。狐に積まれたように、なんだかわけがわからなかった。

 

 

 

結論から言うと、大切にしていることが違うのだろう。その人たちにとってはなにも悪いことをしたと思ってもいない。でもわたしは悲しく感じた。だれも悪くない。でも誰もよくもない。

 

たとえば。私がAさんにお土産を渡したいとする。しかし、AさんはBさんといる。Bさんにはおみやげはない。その状況だったら、私なら渡さない。し、渡せない。なぜなら、両方に悪いと思うからだ。そして、自分がそのどちらの立場でもしてほしくないと思うからだ。

 

しかし、それを平気でされたことがあった。別の友人が、わたしたちのところにやってきて、わたしではない人にのみお土産をわたし、去っていった。なんか、差を見せつけれたようで、あまり気分のいいものではなかった。

 

 

 

この実体験の例のように、人によって正義が違うのだ。それが時に摩擦を生み、誤解を作る。子どもだったら、ケンカして仲直りして終わりでよいのだが、残念ながら大人はそれもできない。まったく厄介なものである。

 

ちなみに、上の以前の例では同い年だった。今回のは、すこし年が違う。年が同じでもそういうこともあるのだから、年が違うならなおさらそういうこともあるのだろう。やれやれ。もう、そういうものだと思って割り切っていくしかないのだろう。あるいは、考えないようにするしか。

 

とりあえず、今回はわだかまりのようなものが期せずして溶けてよかったと思う。禁酒ブログで酒の効果を言うのもなんだが、やはりこういう潤滑油としては、酒はわるいものではないのかな、とも思ったりもした。

 

やはり人生とは、待つことなのだろうか。それも一つの真実なのだろう。

 

 

続く