禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

禁酒記録125、126日 音楽を生活に

家では飲まない禁酒記録125、126日目。飲酒20日。完全禁酒0日目。ラン なし。
 
 
昨日から。
朝は8時前に職場に着く。相変わらず、暑かったり腹が減ったりで夜が寝れない。しかたないとあきらめる。
朝はしっかりと挨拶をして入っていく。低く、大きく、声を出していこう。自分にできることをしっかりとやっていこう。表と裏を使い分けられるようになりたいw
一週間の疲れがいろいろなところで見られ、とてもしんどい一日となった。だが終わったのだ。お疲れさまでした!
 
 
今まではよく職場の同僚と飲みに行ったものだったが、今日は一人で出かけようと思った。近くの街にでかける。
バーで飲んだり、客引きと絡んだり、なかなか楽しい酒となった。バーで自由に音楽をかけさせてくれたので、ブルーノマーズやガガ、エドシーランのヒットナンバーを大音量で聞きながら、ビールを飲んだ。近くにいた人たちともちょっと絡んだりした。いい店だった。音楽とビール。これはうまい。やっぱり、酒を飲むときはこうでありたい。
 
1時ごろ帰宅。酒を飲んでいるからか、ぐっすりと眠れたwww久しぶりの熟睡だった。(ただ、本当はこれは熟睡できていないらしいが。本当に酒とはおそろしいものだ)
 
 
 
 
 
 
 
11時に起きた。音楽、家計簿、掃除、などをしていたらあっという間に4時である。夜は音楽を聴きながら友人と飲もうと思うため、今日も禁酒はできない。飲める分、しっかりと楽しもう。また明日からは禁酒の日々に戻るのだから。
 
 
昨日の夜一人で街に出かけ、ぶらつき、飲んだ。それが非常に楽しかった。人と、旅とと、音楽。そこに酒が溶けあった。うまい酒だった。
 
 
振り返ってみると、去年と一昨年は特に、本当に職場の同僚とよく酒を飲んだ。最低で週一、多い時は2回とか、2日続けて、とかあった気がする。もちろん当時はそれで楽しんでいた部分もあったので、それはそれでよい。でも今、酒に対する考え方も変化し、職場の人間関係も変化したと今となっては、もう毎週飲むことはできないし、したくないと思った。
 
 
当時でもしばしばこう思った。同僚と、しかもたいてい同じメンバーと、たいてい同じ飲み屋で、毎回同じ話、仕事の話をするというのはどうなんだろうと。正直つまらないなと思ったこともしばしばあった。しかもただつまらないだけではなく、安くないお金を払い、健康も時間も無駄にしていた。
 
 
一体何をあんなに話すことがあったのだろうか。毎週毎週、深夜まで。たいていは、職場の話、愚痴だった気がする。
もちろん本当に仲の良い同僚とか、本当に大変な時とか、ならいい気がする。が、毎週はいくらなんでもやりすぎだ。結局、私たちをつないでいたものは、酒という薬物と、惰性だった気がする。わたしから誘ったことはほとんどなかったような気もするが、それでも毎回出席していたのだから。話が下らないから酒でごまかす。薬物で強引に楽しい状態を作る。本末転倒もいいところである。もう、そのような逃げの酒、負けの酒は飲まない。
 
 
そんなことを数年間した結果、結局今の私には何もない。一番好きな、それなしでは生きていけないもの‐ーー音楽を聴いたり、演奏できる居場所がほとんど見つけられなった。
私なりに一生懸命生きてきたつもりだった。でも、仕事、職場の飲み会、家のこと、運動、家計簿、歯医者、冠婚葬祭。。。そんなこんなに忙殺されたり流されたりしているうちに確実に時間は流れていってしまった。
音楽に関しても、バンドを組んだ時期もあったし、たくさんの人にもあったし、バーにも行った。でも結局、形として今残っているものはごくわずかなもので、ほぼ何もできなかったに等しい。
 
 
それで昨日の夜に戻るのだが、久しぶりに楽しかった週末だった。少なくとも、上に書いたような、同僚との飲みよりは100万倍楽しかった。それはやはり、刺激と音楽があったからだと思う。
もうはっきり言っていい年なのだが、まだいろんなことをあきらめたくはない。だから、自分の人生を楽しむために、これから音楽を生活に入れていく、そうすることのできる場所をしっかりと探し、励んでいこう。家では飲まない禁酒もしっかりと続けていこう。