禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

マレーシア⑥ 12月28日

9時半に目が覚めた。快適すぎて寝すぎてしまった。快適すぎるのもよくないのかもしれない。難しいものだ。あるいは、安いホテルがやはり私にはお似合いなのだろう。人には人の見あったものがあるのだ。だだっぴろいロビーに白のグランドピアノがあるようなホテルに泊まれただけ奇跡だったと思うことにした。

 

今回このホテルを3日分予約してしていた。

しかし、このホテルに泊まっていては終電を気にして夜を過ごさなければならなくなってしまう。それではやはりおもしろくない。せっかく奮発しての豪華ホテルだったが、別のホテルに移ることにした。2日分、しかもやや高い料金をどぶに捨てることになってしまった。まあしかたない。旅に失敗はつきものだと自分を納得させて、チェックアウトをした。エレベーターではワムのラストクリスマスがかかっていた。

 

 

駅まで歩いていき、電車に乗った。ものすごく簡単に乗れてしまった。そしてふと、ある事を思った。

私は20代のころはよく日本を旅した。岐阜、横浜、大阪と3つの場所に住んだので、大げさに言えば、人生が旅だったともいえなくもない。一人で、友人と、北海道から沖縄までいろいろなところに出かけた。

今でも、25歳の時に初めて一人で夜行バスに乗り、広島の友人のもとに行ったことをよく覚えている。思えば、これが初めての一人旅だった。朝広島駅に着いたときは心が浮き立つように感じられ、無駄にビールで乾杯したのを覚えている。一人で。朝6時にw

しかし、あるときに違和感を感じるようになった。その違和感とは、簡単に言えば感動が薄くなったことだ。「旅」という行為そのものになれてしまったのだ。

どこの町に行ってもコンビニや吉野家はあり、観光客値段の食べ物を食べる。寺や神社はよほど興味がない限り、あるいはよほど自分の好みに合わない限りどこも同じようなものに見えてくる。もちろん土地のひととの出会いやかかわりは楽しいが、以前ほどの感動を感じなくなってしまった。

それを国内で感じ始めたため、海外に出るようになった。しかし、海外の旅も15か国ほどになり、初めての国の初めての電車で簡単に乗れてしまった瞬間、ひとつの段階を超えてしまった気がした。

 

 

新しい土地にいっても似たように感じるものがある。。。きっと、わたしは旅においても「大人」になってしまったのだろう。やはり、旅は人生に似ているのだ。

子どもの時の1日があんなに長かったのは、毎日がお祭りのように新鮮で刺激的だったからだ。何もかもが初めてのことだらけだったからだ。初めて食べる味。初めて見る虫や脱皮の姿。少しずつ成長していく自分。一日が、1年が長く感じられて当然といえる。

しかし大人になるにしたがって、いろんなことに慣れてしまう。慣れ、ということはよいものでもあり、悪いものでもある。仕方ないのだ。大人になっても、雪やから揚げに毎回感動するわけにもいくまい。

このマレーシアの旅も毎日楽しんではいるが、どことなく物足りなくも感じている。それは、おそらく私の心が変化してしまったのだ。。。

車窓にはクアラルンプールの近代的なビル群が見える。そんなことを考えながら無機質な建物を見ると、やや感傷的になってしまった。