禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

マレーシア④ 12月25日、26日

ホテル(というよりは、格安の部屋というくらいだが)に戻った私は、本を読んだり日記を書いたりした。異国の地の、窓もない安ホテル。ぼんやりしているだけでも、いろいろな考えが浮かんでは消えていく。

 

しかし、スマートホンが世界中どこででも使える現代となっては、しようと思えば日本と全く同じことができる。メール、電話、ネットでの情報集め。。。

 

しかし、それではわざわざ海外に来てる意味がない。ネットでの情報収集は別としても、メールやネットなどはできるだけ最小限にしようと、ささやかに自分にルールを課すことにした。

 

 

 

 

8時半に目が覚めた。昨夜遅くまで本を読んでしまったのと、窓のない部屋によって少し寝坊してしまった。人間にとって、やはり太陽の光は必要不可欠なのだ。次からは窓のついている部屋にしよう。まあ、いずれにしても朝食を食べに出かけることにした。

 

市場に行くと、いろいろな屋台が出ている。マレー式ラーメンを頼むことにした。小さめのヌードルにお茶が付き、わずか100円の安さだった。

 

ホテルのスタッフに場所を訪ね、バスのチケットを買いに行くことにした。行く先の決めていないこの旅だが、帰国日は決まっている。明日はクアラルンプールにいくことにし、ホテルをネットで予約した。

20分ほど歩くと、バスセンターが見えてきた。チケットのことを聞くと、クアラルンプールまでは約6時間で、約1000円という。しかも3列シートでなかなか快適のようだ。いくつかバス会社を見た後、比較的愛想のよかった店でチケットを購入した。

 

印象に残っているのは、ペナンからの目的地にタイやシンガポールの地名があったことだ。日本ではありえないが、陸の国境がある海外では、バスでも海外に行くことができるのだ。昔ドイツのハンブルクのバスセンターでも同じようなことを感じた。ハンブルクからは、オランダのアムステルダムやフランスのパリなどのバスで簡単に行けるようだった。

ワクワクするではないか。今ここで、行こうと思えば数時間でタイに行くこともできるのだ。。。そう考えると、無限の自由と選択が自分にはあるようで、体が軽くなったような気がした。

 

ホテルに戻り軽く休んだ後、ギターをもって散歩に行くことにした。

私は、海外に行くときはなんとなくギターを持っていく。カッコつけともいえるし海外も音楽に触れていたいからだ。曲も作れるような気がする。

昨日行った海で弾こうかと思ったが、たくさんの先客がいたため邪魔をしては悪いと思い近くの公園に行った。イギリス風の建物や時計がある。誰も近くにいないところで腰を下ろした。

 

天気も穏やかで、半袖短パンでちょうど過ごすことができる。公園にはたくさんの屋台も出ており、家族連れが遊んでいたり、シャボン玉売りがシャボン玉を吹いて売っていたりと、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。夏の12月の、文句のつけどころのない優しい日だった。ささやかに、歌を歌い、曲を作ることにした。

 オアシスのwhatever、キンクスのきざな奴。。。思いつくまま歌っていく。近くに人が来るが、向こうからくる分には邪魔ではないのだろう。自分のために、また彼らのためにもささやかに演奏した。

以前ベトナムで行った際にメロディーができていた曲があった。なんとなく、旅情を感じさせる雰囲気だったので、飛行機の中で詩をつけてみた。これが不思議なほど、納得のいく出来となった。

自分は今海外に来ていて、たくさんの時間と自由がある。生きていることを実感できる。そして、今までの人生を振り返った時、自分は「生きてきた」と胸をはって、いうことができるだろうか。。。というような曲となった。

 

曲を作り終えたとき、ふと一息をついた。相変わらず、吸い込まれそうな空の青さだ。その瞬間、シャボン玉がふわふわとどこからともなく現れた。

ゆっくりと目の前を通過すると、私の肩にあたってはかなく消えた。美しい瞬間だった。

これが私にとって何を意味するのか?などと無粋なことを考える必要はない。ただ、偶然が重なっただけのことだ。しかし、このような非日常性が気分をいいものにさせてくれる。心地よい風と、疲れと、旅の空気。幻想的な泡。この瞬間をいつまでも覚えておきたいな、と思った。i feel fine.

わたしはそれをペナンからのささやかなプレゼントだと思うことにして、公園を後にした。