禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

その2 旅の総括

旅の総括をそういえばしていなかった。忘れないうちにするのがよいで、ここに記しておこうと思う。

 

 

 

まず酒に関して。節酒ブログだし。

 

やはり旅ということで、酒はふだんより結構飲んでしまった。体調を崩してしまったので、その時はもちろん飲まなかったが。逆に言うと、体調を崩していなかったら、毎日飲んでいたかもしれない。たぶん。

 

 

酒=毒  のマインドは手に入れつつある。しかしそれでも、現代はまだ、酒=人とのつながり、という要素は大きい。日本でも世界でも。特に酒に強い欧米人にとっては、ビールはジュースのようなものかもしれないし。だから、その中で「飲まない」とすると、どうしても距離ができてしまう。ここが難しいところだが、やはり人といるときは飲む、というのができるようになるのが1番良いのだろう。social drinkerを目指すのが一つ。

 

もう一つは、私なりにそのマインドが成長してきた、ということを感じたことだ。飛行機が嫌いな私にとって、酒お守りだった。以前搭乗前は必ず飲んでいたが、今回は4回乗ったうち、1度も飲まなかった。これは大きな成長である。また、飲んだ時も以前のように、惰性で飲むとか、昼から飲むとか、そういうことはもうしなかった。この調子で行こう。

 

 

費用に関して。合計29万。しかし、3週間の日程だったので、ここに日々の生活費の予算を考えると、-7万円ほどになる。よって、実際のやりくりとしては22万ということになる。これくらいならよいだろう。

 

 

感想。今回の旅は本当にハードだった。特に体調、病気。それにかかわる判断に関して。失敗だったのは、食あたりの予防をしなかったのと、早めに病院に行かなかったこと。また、治ったと過信してしまったこと(食あたりが治ったと思ったら、風邪をひいてしまった。まさに泣きっ面にはちだった)。

 

これによって、半分以上が体調不良だった。治ったと思ったら酒を飲んでしまい、また悪くする。これを何回かしてしまった。ただの阿呆であるw

体調が万全ではないと、やはり何をしても心の底からは楽しむことができない。暑い日中にも活動することもできない。健康が、本当に本当に1番なのだ。

 

教訓。健康が本当に1番であること。過信をせず、とにかくすぐに病院に行って、すぐに体を休めること。できうる限りに予防をすること。ただでさえ、気候も文化も違うところへ行くわけだから、普段より体調を崩しやすいということをしっかりと考えておくべきである。マスクして寝るとか、サプリを持っていくとか。

 

 

しかし、それでも楽しかった。やはり旅は本当に楽しい。

 

ベトナムホーチミンでは、喧騒の中にいた。あの喧騒の中でバイクタクシーに乗っているとき、とても自由を感じる。自由の風。脳内ソングは尾崎豊

 

フォーやパインミーはとてもおいしかった。バックパッカー通りのファングラーオ通りでは、飲んだり、歌ったり、ビリヤードしたり、マッチ売りの少女をからかったりしたw(最終的には買ってあげた)夜まで店がたくさん空いていて、老若男女起きているあの空間が好きだった。日本でいう祭りの夜。

 

メコンデルタのツアーにも出かけた。ツアーのメンバーと話したり、水上村を見学したりした。カジノにも行ったし(惨敗だったw)、沢木耕太郎の泊まった、ホテルマジェスティックのバーでも飲んだ。

 

最後シエムリアップからバンコクまでは飛行機を使ってしまったが、ホーチミンプノンペン、シエムリアップまでのバスの旅もとてもよかった。車窓から見える風景は、自分の心の中、と沢木耕太郎も言っていた。

 

プノンペン、シエムリアップは正直散々だったwでも、プノンペンのリバーサイドでぼんやりしたり、キックシャトルをおっちゃんたちとしたりした。夜は飲みに行って、店員さんたちと絡んだ。いい人もいれば、がめつい人もいた。音楽に惹かれて入ったバーで、日本に住んだことのあるアメリカ人と、weezerに関して意気投合した。ライブバーで踊ったりもした。マリファナピザは食べずに済んだw

 

シエムリアップでは、蜘蛛や蛇を食用として売っていた。残念ながら食べることはできなかったが、観光客同士で絡んだ。ピンクフロイドをかけているバーで、遅くまで歌ったり飲んだりした。実にやさしいオーナーだった。その隣にある家族でやっている食堂に良く通って、顔見知りになった。

 

アンコールワットに死にそうになりながら行ったwまさに修行だったw入場料4000円は高いw

 

 

病院に行ったのもある意味でいいネタになったwしかも2回www

 

2回目にはなんと血液検査とインフルエンザの検査をする羽目になったw血液を抜かれ、インフルエンザのあの不快な検査の棒を鼻の奥に突っ込まれた。体もつらく、異国の地で、たった一人で、こんなことをしている自分が、滑稽で、笑えるような、泣けてくるような。

 

そうしたら、悲しいような、笑えるような涙が出てきた。検査の棒で涙腺が刺激されたのもあったのだろうが、感情も高ぶったのだろう。看護師さんに(若くて、テキパキとしら女性だった)「ごめんね。泣かせるつもりはなかったんだけど」と、言われたのだがなんだかおかしかったw

 

タイではもう完全に体調回復に努めた。ていねいにマッサージをしてくれたタイギャルや、バスが一緒になって、一緒にご飯を食べたり乗ったりしたマレーシアのナイスガイ。ライブをやっていたバンド。のんびり風景を見ながら飲んでいたら、ゲームをいっしょにやってくれた店員さんたち。。。親切なんだが、雑なんだかわからないようなホテルのスタッフのみなさん。

 

 

 

こうして考えると、風景や食べ物、酒などすべてそこで出会った人たちと分かちがたく結びついている。また行くことがあるのかもしれないし、もうないのかもしれない。でも、これから日本で生活していて、ベトナム、タイ、カンボジアのことを何かで思い出したとき、必ずその人たちのことを思い出すだろう。そして、つらかったことやトラブルも含めて全部、楽しかったこととしてよみがえるだろう。そしてその記憶が微笑み始めたら、きっとまた旅に出る。ここではないどこかに、何かを求めて。