禁酒ニーチェの深夜特急ブログ

禁酒をしつつ、深夜特急とロックに影響されすぎ、とことんなりきって書いてみます!

マレーシア⑧ 12月29日

11時に起きた。昨夜は寝るのが少し遅くなってしまった。

すぐ近くの中華料理屋で食事をとることにした。

日本でおかゆと言えば病気食みたいなイメージがあるが、本場の中国では朝食として一般的なものらしい。この店にもお粥があったので頼むことにした。飲み物はフルーツジュース。東南アジアでありがたいのは、みずみずしいフルーツのしぼりたてのジュースが安く飲めることだ。この旅に出て以来、フルーツジュースは私のお気に入りとなり、毎日一杯は飲んでいた。

お粥はとてもやさしい味で食べやすく、私は瞬く間に平らげてしまった。まだ食べたかったので、ラーメンも追加注文してしまった。観光客値段でやや高くなってしまったが、大いに満足のいく食事となった。

 

 

ホテルに戻った私は、やや疲れていることに気づいた。

2週間ほどの旅に出かけると毎日いろいろなところに出かけることになる。それはしたいからでもあり、せっかく来ているのだから部屋でごろごろしていてはもったいないからだ。

しかし、異国の地で、ことなる環境の中で毎日ほっつき歩いていては疲れもたまるものだ。気づかないうちにたまってしまうこともある。これからのことも考え、今日の昼はのんびりすることにしよう。

よいのか悪いのかわからないが、今日の昼間はホテルの部屋でスマートホンで世界一周ブログを見ることにした。

現代では実に多くの日本人が世界一周をしている。しかも多くはブログを書き、それで収入も得ているらしい。ギターを弾いたり、出張美容師をしたりと。稼ぎながら旅をしている人も多いようだ。あるいみ、深夜特急のような旅はもう終わったともいえる。様々な人の旅の記録を見てそう思った。

 

それを可能にしたのは間違いなくインターネットだ。わたしはかなり疎いほうだが、それでもやはりスマホは海外には必需品となってしまった。航空券の予約、ホテルの予約や検索が驚くほど簡単にできてしまう。翻訳機能も付いている。本当にドラえもんの「ほんやくこんにゃく」の世界だ。

今までこのネット化の波に乗るのをためらってきたが、この波にうまく乗れなければものすごい損をして生きることになるのではないか。逆に言えば、うまく乗りこなせれば本当に無限のことができるのではないか。生きていくことの選択肢の多さにやや呆然としながら、そんなことを当てもなく考えたりしていた。

 

夜も更け出かけることにした。相変わらず、KLの街は眠ることはないようだ。

 

歩いては飲み、食べる。食べては呑む。なにか面白いことが待っているのではないか。ひたすら歩く。歩く。歩き続ける。人を見る。話す。笑う。断る。

異国の深夜を一人で歩く。少しずつ酔いが回ってくると、自分がどこを歩いているのかわからなくなってくる。日本なのか。日本なら横浜なのか、東京なのか、鎌倉なのか。

それとも外国なのか。ホーチミンなのか、ロンドンか、リスボンか。今まで歩いた場所、記憶がごちゃ混ぜとなって表れては消える。

なんだか笑えてくる記憶もある。チクリと痛む記憶もある。いい年をして、わたしはいったい何をしているのか。今まで何を得て、何を失ってきたのか。なんでもって、このような修行のような、快楽のような旅をしているのか。どこに向かって歩いているのか。

 

「人間は自由の刑に処せられているのだ。」

ジャン・ポール・サルトルの声は確かそんなことを言っていた気がする。

自由はよいが、確かに自由という海に溺れてしまいそうにもなる。だからこそ、私はいま「外国を一人で歩く」ということで、必死に自分の実存を探しているのだろうか。。。

 

やがてKL名物、ペトロナスツインタワーが現れた。本当に天にまで届くようだ。

こようなビルを下から見上げると、まるでこっちが見下ろされているような気さえしてくる。人間とは、私とは、なんとちっぽけなんだろう。

巨大なビル群の明かりがまぶしい。その隙間から見える月はまるでレプリカのように現実味がなかった。